比喩表現を連打してたら怯えられるようになったかわいい彼女(比喩表現)

はじめに

こんにちは。ぴよらっこです。
私はたぬきファクトリーで働いています。 私はタヌッキィバトルをプレイするために2歳の息子と夫を売り日本にやって来ました。私は日々Twitterで庭のことやたぬきのこと、そしてリニアレール居合についてのことなどを話していますが、これらは全て比喩表現です。
今日はこうして比喩表現を連打していたらどうなったかについて話します。


これは高度な比喩です

比喩と言っておけば、何かしら深いことを考えているように思えますよね? タヌッキィ・フィンガーズ!とかリニアレール居合はカス!とか日頃から言っていると、様々な人が色々と深読みをします。なぜかというと、物事の基本構造というものにはさほど差異はないため、あるシチュエーションにおける名詞をたぬきとかリニアレール居合とかそういう単語に適当に置き換えて遊んでても話が通じてしまうからです。
そういう事をする人だという印象さえあれば、どんな話をしていても何か深い事を話しているが自分の理解が及ばないのだな、と思われます。
しかしその実、ぼくは実際にリニアレール居合があったらカスだなあと思っているだけで、他に何か深い事を考えているわけではないのです。


それは嘘です

もちろんそれは嘘で、例えばリニアレール居合については正真正銘現実に起きたことを比喩表現でマイルドにして迂遠に表して遊んでいるだけなのですが、そもそも他人にわかりやすく説明するための比喩表現で、全くこの世に存在してもいなかったリニアレール居合とかいう剣術を生み出すのはどうなんですか? より世界を難解にしているだけではないんですか?
いえ、そうではないんです。リニアレール居合(比喩フィルターを通す前の、実際の事件)について知っている人間は、ああ、たしかに言われてみればリニアレールの居合だなあ、とわかるのです。それは、暗号やヒミツの言葉で話すのと同じで、小さい頃に秘密基地を作ってワクワクしたあの頃の気持ちを我々に想起させてくれます。
これは嘘です。別にそこまでワクワクするわけではないです。


↑こういうことばっかりしているとどうなるか

ありとあらゆる発言を疑われるようになります。狼が来たぞ!
例えばぼくは庭を掃除しなきゃね、みたいなごくごく平和なツイートで、「それは私が囲いの暴走を止められてないってことですか!!!!!!」とブチ切れられたことがあります(この例はあまりにも面白いので無限回繰り返して話してしまいます)。他にも同じような事件が3回ほどありました。3つ? 冗談だろ。ツイート全てが罠だぜ(ヨーヨーを上に投げる)。
そういうのを笑い話にしているのも、おもしろいのでまあそんなに悪くはないですが、勘違いされうる要素を意図せず生み出しまくっているということで、よくもないです。
具体的なよくない点としては、なんかわからんけどめちゃ比喩表現で人をバカにして回ってる怖い人だなと怯えられます(必要以上に怯えられると、たぬき(比喩表現)が発生しやすくなるなどの悪影響が発生します)(たぬきの発生条件については別記事でまた書きます)。


それって結局○○でしょ?

○○には威圧とか承認欲求とかそれっぽい好きな言葉を入れてください。どれも違います。
なんでこんなことばっかりしているのかというと、言葉を使って遊ぶのが楽しい~~日本語サイコ~~~というマジでしょうもない理由がかなり大きなウェイトを占めていると思うのですが、おそらくそれだけではなく、そもそも『理解してほしい』と『気軽に理解されたくない』という二つの欲求が根底に潜んでいることに気がつきました。
元凶はこいつらです。許せねえ……! 奴らを倒せばこの世界はもっと素晴らしいものになるんだ!


『理解してほしい』とはなんなのか

他人に理解されることは心地よいことです。自分と同じ世界を相手が共有してくれているというのを感じられると、寂しさが軽減されたり嬉しかったりします。
例えば紐を上下に振動させると、波が生じて、紐の端から端へ水平方向に移動しているかのように見えますが、実際は紐自体はただ上下に振動しているだけで、何かが実際に水平移動しているわけではありません。
ぼくはある日紐を持ってその辺を歩いているネコチャン相手にびょんびょんと揺らしてみせたところ、ネコチャンは水平に移動する波を捕まえようとして波(の移動先)に飛びつきました。それを見たぼくは、今このネコチャンもぼくと同じように『水平移動する波』を見たのだ……と感動してしまいました。
人間とネコチャン、全然別の動物でさえ、同じ世界を共有することができるのです。そして、ネコチャンが最も世界を共有したい動物の一つであることは疑うべくもありません。
これは比喩ではなく現実で発生した心温まるエピソードです。


『気軽に理解されたくない』とはなんなのか

しかし、それとは逆にも思える『気軽に理解されたくない』という思いもあります。それはなんなのかというと、本当は別の世界を見ているのに、お前はアライグマ、俺はアナグマ……たぬきに何の違いもありゃしねえだろうが!とか言われると、違うのだ!となってしまうということです。
これは比喩表現とキン肉マンのネタのパロディです。あとアライさん。アライグマだけに。
気軽に理解するというのは、大まかな方向性だけを掴んだらそれで括って終わりにするということです。同じ世界に辿り着く前に、だいたいその辺でしょと見切りをつけられて、それ以上の世界の接近を中断されることです。本当に真実正しく同一の世界に辿り着くことなんてできないんだから、ある程度でいいっしょ、という妥協が私は嫌なのです。
私は、あなたにこちらに向けて歩き続けてほしい、たとえたどり着けないとわかっていても、その困難な道のりを『私のために』踏破してきて欲しい、ということです。かわいいですね。彼女かよ。
それは二人で旅行するときに同じ便の列車に乗ってるのに、一号車と五号車に分かれて座るようなものです。ぼくは一号車まで来てほしいのですが、同じ便だからいいでしょと言われているようなものです。
良くねえよ! ここまで来いよ! おいしいお菓子もお弁当もあるよ。水筒にお茶も入ってるよ。
これは比喩表現です。


俺は……ここにいる!

つまり、五号車に間に合ったことに満足しないで一号車まで来てほしいということなのですが、乗客でごった返す車内を進むのは一苦労ですし、いいじゃん同じ電車の中にいるってわかってるんだしさ……一号車で見ても五号車で見ても、見える景色は同じだよ……と言いたい気持ちもわかります。
わかるんですけど、でも私はあなたと旅行がしたいのです。私はあなたが隣に座る席で、どうでもいい話をして、くすくす笑いながら、流れゆく山河や街並みを眺めたいのです。
私はここにいます。隣の席まで来てください。それができないなら、別に一緒に旅行なんてしなくていいもん……
かわいいですね。彼女かよ。もちろんこれは比喩表現です。


おわりに

だいたい言いたいことは言ったので以上ですが、今思ったんですけどぼくは恥ずかしがり屋なので、比喩を使うのは本音を詳かにするのが単純にちょっと気恥ずかしいからなのかもしれません。かわいいですね。そうなんです。だからそんなに怯えなくて大丈夫ですよ(そんなに怯えなくて大丈夫とか言うやつは得てしてろくなことをしませんね)。

#note読みにくい文章大会

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