海上保安庁の日

118番にかけると、海上保安庁につながる。
ちなみに189は児童虐待を相談する場所につながるという。
ところで、今日は、振り袖火事、すなわち明暦の大火があった。(こっちは119番)白状すると、いつも八百屋お七の火事と私は混同してしまうのであるが、それもそのはずで落語などではなぜか明暦の大火と結びつけて脚色してしまっている。八百屋お七は、天和の大火である。共通テストが昨日からはじまった受験生の諸君にいたっては間違うことなきよう、老婆心ながら忠告する。
 さて、厄難をもたらすという紫色の振り袖を、法会供養として燃やそうとしたところ、風で舞い、本郷にあった本妙寺の境内をあっという間に焼き尽くし神田・京橋方面に燃え広がった。江戸幕府は、防備のため千住大橋のみ架橋を認めていたため、川岸で逃げ惑う人々を焼き尽くしてしまった。教訓として、大橋を架けたが、これが、武蔵の国と下総の国をまたがっていたため両国橋と名付けた。回向院は10万8千といわれた焼死者の弔いのため建立されたもので”十万八千べん毎日えこう”と柳歌留多にみえる。

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 さて、ここに国という言葉が出てくる。今日はモンテスキューの誕生日である。専門家によると、モンテスキューが有名なのは三権分立を唱えたからというのは少々違くて、英国の制度を真似たに過ぎず、むしろ”法の精神”そのものをきちんと読めということである。なるほどそうなのかもしれないが、三権分立をもてはやしたのはアメリカが建国するときで、さらにそれを副島種臣と福岡孝弟が”政体書”としてもてはやし、真似したからで、庶民にいわず、”国体”の方に云ってくれと苦言を呈したくなる。
 ともあれ、その国とはなんぞやという面ではずいぶん違うが、こういうのを国、あるいは国家というのは、近代になって確立した考え方である。現にさきほど両国橋の国でみたように、日本では社団の複合体として”国”が成立し、中央政府機構(江戸幕府)はこれら社団に特権を付与することで階層秩序を維持していたのである。ちなみにプラトンが言っている「国家」というのはΠολιτεία(政府)に近い意味である。王国は王が統治する国ということで、たとえばルイ14世は、恩顧を与えるという行為によって、自らの位階、名誉、威信を貴族に示し、貴族はそれに応答する形で自らの領地を王に認められた範囲で統治した。だから日本でいう国の範囲とかなり近いと思われる。30年戦争を終結するウェストファリア条約により、国の領土や国境が定まり、国際秩序を整えようとする、外側からの力によって国が定立したのである。一方で宗教改革による意識の変化が大きくなり、自己と異なる他社の尊重というものが思想的に人々の精神に広がってきた。ルイ14世のナントの勅令の廃止はこの動きに逆行するものであった。カトリックには歓迎されたが、ユグノーの国外流出という事態が発生したのである。
王制による統治はすでに危機を迎えており、貴族による権力にすり寄る奢侈な消費によって支えられたが、いまでいう国債、すなわち王債は膨れ上がり借金だらけの財政難に瀕していた。ジョン・ローの”システム”すなわち銀行券で王債を償還し、それと同額の新株募集を植民地会社にさせることにより、債権者を投資家に転換するという仕組みを思いついたが、1720年のミシシッピバブルが弾け飛ぶ。なにしろ500リーブルの株が、10000リーブルにまで投機により膨れ上がったものが弾けたのである。英国でもまったく時を同じくして南海泡沫事件が起こる。そんなときに「ペルシア人の手紙」というフィクション仕立てを書き上げたモンテスキューが歴史に登場してくるのである。この書物はペルシア人が渡航先のフランスの様子を伝えるという形でキリスト教の不寛容や、その不寛容がもたらす経済的損失を論じたもので、フランス王制を批判する内容であった。この中でモンテスキューは、ジョン・ローのシステム崩壊を「古着屋が衣服を裏返すように国家を裏返した」と論じ、実直な労働者の精神というものを奨励する。

En 1721, il publie sous l’anonymat les Lettres persanes, qui sont une critique satirique de la société française. Le livre reçoit un vif succès et étant reconnu en être l’auteur, Montesquieu devient célèbre. Il fréquente alors les salons littéraires parisiens avant de partir pendant plusieurs années à travers l’Europe.

「ペルシア人の手紙」で颯爽とサロンに登場したモンテスキューは、以降学究に身を投じ、20年とも30年ともいわれる歳月をかけて「法の精神」を書き上げる。

Fin observateur des sociétés, des mœurs, de l’économie et de la vie politique des pays qu'il découvre, Montesquieu publie en 1748 De l’esprit des lois, qui lui a demandé quatorze ans de travail. Dans cet ouvrage, au succès retentissant et interdit par l’Eglise, l’auteur développe sa pensée politique, à savoir l’existence de trois types de gouvernement (la république, la monarchie et le despotisme) ainsi que la séparation des trois pouvoirs (exécutif, législatif et judiciaire) comme garantie de la démocratie. Montesquieu meurt en 1755.

モンテスキューは、この法の精神の中で、古代、中世、ヨーロッパ、近東、中東、極東、アメリカ大陸、アフリカ大陸のすべての制度を研究し、一般化してまさに「法の精神」というものを定立して提示したのである。集団社会を組織する制度が作られる精神を形成する様を記した労作である。

Entreprise magistrale, fruit d’une trentaine d’année de travail, De l’Esprit des lois mobilisa tant de moyens et d'énergie, trop sans doute pour un seul homme, qui s'y épuisa. Prise en charge de toutes les institutions et habitudes sociales de l'Antiquité, du Moyen Age, de l'Europe moderne, du Proche-, du Moyen- et de l'Extrême-Orient, des Amériques, de l'Afrique : c’est une documentation énorme et si disparate qui, comme toujours chez Montesquieu, ne se présente pas comme telle, ni dans la facture (chapitres inégaux et émiettés, ruptures du propos, fragments), ni dans les conclusions (suspendues, relatives, voire contradictoires). De même qu'on simplifie couramment son titre (De l'esprit des lois ou Du rapport que les lois doivent avoir avec la constitution de chaque gouvernement, les mœurs, le climat, la religion, le commerce, etc.), il est nécessaire, pour présenter L'Esprit des lois, d'en simplifier le contenu sans en trahir la démarche. L'objet est de découvrir la règle – positive, valable en tous temps et en tous lieux, déterminée par des facteurs contrôlables et mesurables – selon laquelle se constituent, fonctionnent et évoluent les institutions que fabriquent les hommes pour organiser leur vie collective.

クリステヴァは「外国人」の中で、国家の意味を論じるときに、次の2つの概念が大事であるとしている。アトピー(外国人であること)そして、ユートピー(人類の融和)である。これは国が形成されないことを含む概念である。再三にわたり、国家の概念を覆した方がよいとこのnoteでも書いている。今日は基本を見直すよい日なのであるまいかと思う。

 まずはフロイトが「トーテムとタブー」の中で、社会という集団において、「社会は共同犯罪の上に成り立っている」とした概念が国家に対する考え方を端的に示すものである。社会集団が形成されていく途中では、必ず他者排除というものが行われ、まさにそのことによって、ある集団、国家のアイデンティティを確立しようとするものである。これがいわゆる「仲間意識」の源であり、それが野蛮な迫害を生む。つまり”よそ者”をスケープゴートとして捉えることが集団の結束を生むというメカニズムであり、この自分達は特有であるという根拠が共通分母として存在し、其の淵源として国家が成り立つにほかならない。しかしこれでは、争いが絶えないので、さきにみたような自己と異なる者への寛容の精神が育ってきたのが近代であった。他者(よそもの)にも人権があるという”止揚された人権”が出発なのである。そういった心理社会学的な側面より前に、クリステヴァとともに国家(ネイション)をみていこうと思う。
 クリステヴァも「彼方をめざして」という著作の中で、まずは、ここで先にみたような精神分析の比喩を引用したあと政治社会学の見地を提示しようとする、そこでまず引き合いに出してきたのが、モンテスキューなのであった。政治社会学の見地からみても、第二次大戦においてナチスが国家の民族主義を唱え他国を蹂躙していったのは歴史が明らかなように、”民族主義は、他民族を抑圧し、自民族を専断的に賛美する力になる”のである。これはナチスが特殊というものでなく原理的にそうなのである。
では、モンテスキューはこうした民族主義の概念に対しどのように国家を描いたのかというと、クリステヴァはモンテスキューの「法の精神」から

いろいろなものが人間を支配している、すなわち風土、宗教、法律、統治の確立、過去事例、習俗、生活様式、それらに起因する一般精神がそこから形成される

 そしてクリステヴァは一般精神というものを民族主義に対置させた上で
国家というものを、「1.歴史的アイデンティティ、2.多種多様な具体的因果関係、3.イメージされた政治集合体を互いの協調と経済のために止揚する可能性」としてモンテスキューの法の精神から引用するのである。このあとの議論はやや私には難渋したのであるが、私見でまとめると次のようである。
 社会(パブリック)は法が、そして習俗は”法でないもの”が規制する。多様性が認められることになれば、プライベートな領域として立法者は習俗や生活様式の自由な実践をその権利によって保証する。
 ここでクリステヴァはモンテスキューが

変化の可能性をもった抽象的な政治 を
重々しく決定論的な国家 とを
バラバラにしない一段高い国家ヴィジョン

を持っていたとみる。さて、一般精神というものが理想なのであれば、クリステヴァは次の3つの問題が提起されるという、

・アイデンティティが歴史的であるとはどういうことか
・市民社会が多目的であるとはどういうことか
・多様なアイデンティティと社会階層を一般精神とプライベートのバランスにどうはめこむか

これらの問題について、クリステヴァは、モンテスキューをさらに読み進めるのである。

祖国愛が良俗を導き出し、良俗が祖国愛を導く。個人的な情熱がみたされなければ満たされないほど、われわれは全体的情熱に身を任せるものである

 この欲求不満がナショナリズムの高揚を生む。これを退けなければならないが、まずは知識人の役割をクリステヴァは語る。個人と国家の関係を歴史的に語ることの不可能性を示唆するようにも私には思える。(第1の問題の中で)なぜこの国家にいるのか、移民たちに逆に問う時代であるというのである。そこでは国の歴史は骨抜きになっていくであろう。
第2の問題について、

市民としての義務が人間としての義務を忘れさせるようなら、それは犯罪である

というモンテスキューの言葉をひき、一般精神の中にプライベート(風土、宗教、法律、統治の確立、過去事例、習俗、生活様式)を認め保証するのであれば、国家主義の強迫観念の中に政治空間が飲み込まれることを阻むことができると逆にクリステヴァは提起する。それが多様性を受け入れていく本質なのである。国家と対立する構造を超えていく見識が広がっていくようにみえる。

第3の問題について、一般精神が民族主義を凌駕できるのであれば、ポリフォニックな共同体ははれて、ユートピーとなりうることを示唆する(クリステヴァの原文ではユートピーでなくヨーロッパ。原文はあくまでフランスにおける例である、ちなみにクリステヴァは、ブルガリア生まれであり、フランスに移民として住む)。私が国家なんていらないと何度もこのnoteで書き散らしているのに対し、クリステヴァは国家にまだ可能性を求めることができると穏健に書いているのだ。果たしてそうなのであろうか。私がモンテスキューをろくすっぽ読めていないから起こる差異なのかもしれないし、私が現状、国家に多くのものを負担させている存在のくせに、不用意に軽々しいということもあるのであろう。

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クリステヴァなどを読むと学生時代を思い出す。
それを思い起こすような過去記事を引いてみよう。


ヘブライ語で書かれた聖書に数秘術的な解釈を施した
ゲマトリアがあるカバラ数秘術の源流だ
いわば聖書の隠された意味をひもとくという
「人麻呂の暗号」的な読解か
面白いのは、一神教でなく多神教的なものいいが多いことである
クリステヴァは
すべてのエクリチュールはレエクリチュールにすぎない
といった
聖書の奇抜さにかなう小説はないといったひともいる
つまりすべての小説は聖書にとりこまれてしまうほど
聖書は奇想天外な書物である
まさにそこで、暗号を読み解くような解釈の隙がでるのだろう
最初に「言葉ありき」であるが
実は人間は不完全な言葉を使って思考している
この考え方の根本というかバックグラウンドには
感情があってその伝達手段としての言語ではもはやない
言葉が先にあるのであって
思考、感情はあとからの概念でしかない
言葉を使って思考されたものであるという考え方である
記号論がこの考え方のバックグラウンドを用意したのは画期的である
つまり言葉がなければ思索できないのである
その思索の根本が不完全では思考は不完全でしかない
コギト エルゴ スム(われ思う ゆえに我あり)
にも だからこそ ミスがあった
ニーチェの指摘である
cogitoのo(オー)が我を規定してしまっているというのである
つまり自我こそ疑うべき姿勢が欠けてしまっている
これはデカルトのいうべきことの欠陥が奈辺にあるのかという議論を
デカルト自身でなく言語の不完全性に絞っている
と私見ながら思う
ライプニッツは、不完全さを打破するために「完全なる」言語を夢想した
ルソーだって「言語起源論」のなかでふれているし、
ユートピアにて話されている言語への夢想は17-18世紀的なパラダイムの土台である
ここで面白いと思うのは、
ライプニッツの2進法の発想が
易学などの中国学の二元論的な見方から
取り入れられていることである
ライプニッツは二元論を0と1に変換し、
それで世の中を表現しようとした
たとえば
動物かそうでないかの動物にaを当てる
同様にしてネコ科にbを当てて、
たとえばトラをaba、ライオンをabbなどと表現する
するとabaとみるだけでabを含むのでこの単語一語をみるだけで
トラがネコ科に属することを同時に表現できる
そうはいっても
ここでも目的を副産物とは区別しなければならないだろう
普遍言語の本来の目的はタクソノミー(分類学)を産み落とすことではなく
曖昧なことの排除であったはずである
しかしながら やはり、
曖昧を曖昧のまま表現される欲望の再認識となる
普遍へのカギを探しているすぐそばでそれを壊していくものの存在が
クローズアップされる
それを詩で展開した議論をすれば
「曖昧の七つの型」というテーマになるし、
それを主体という概念で議論すれば
ミッシェル・フーコーの課題になるであろう
「曖昧なままに残さざるを得ない」ということを
言葉の両義性(思考と考えても良い)とともに考えてみるべきであろう
性悪説も性善説もなく人格は両義的なものであるからであろう
その矛盾こそ人生なのかもしれぬ

ここでの両義性というのものは、一般精神の中に見いだせるものであろう。
それは国家の中に2つの概念、一般精神とプライベートという2つが共存することであるのかもしれない。そのバランスをとりながら民族主義を超えていくことこそ、これからの課題であることは間違いないであろう。
こうした見地からみると、人は皆、外国人(アトピー)である(たとえ日本人が日本にいようとも)かつユートピーでもあるという両義性が持ち上がってもくるのである。

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<来年の宿題>
・法の精神を読む
・国家とはなにか(必要か?)
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