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時刻表の日

1894年10月5日に、庚寅新誌社から日本初となる本格的な時刻表が出版されたことを記念して制定。

イギリスの時刻表を参考にして作られたというのだが、それがトーマス・クックのものだったかどうかは浅学でわからない。

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鉄道ファンでも時刻表をずっと飽くことなく読み続けられる人がいるらしい。そうかと思えば、車両番号までみて編成を考えたり(どの列車がどこを通って駅や車両区にいきつのか)実際の運行を覚えてしまう人も・・・すごいな。駅(場所)と時刻だけの情報(2次元)から、脳内で素晴らしい世界を作り出すのであろう。
限られた情報から無限の喜びを感じるなんてまるで禅のようである。

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そういえば今日(10月5日)は、達磨大師の命日だ。
インド仏教では、仏教は解脱(迷いや煩悩の輪廻から解放されること)を目指すものである。しかしながら、実のところ、私達は生きてしまっているので、ではどうすればよいのかということである。それは悟ればよいのだが、その悟りの方法を云々したものが、達磨を開祖とする禅宗の教えである。

古代インドで、心身を集中して統一することをdhyāna(ジャーナ)というのだが、これを漢字にすると、禅那となる。この方法はウパニシャッド哲学まで遡ることができ、実は坐禅の成立は仏教よりも古いともいわれるが、達磨がインドから持ち帰り、中国のいろんな思想を取り入れて成立する。
そもそも釈迦が解脱を得る方法を編み出したのも坐禅という方法であるから、自明であるとも言えるが、四苦(生老病死)と怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦、五蘊盛苦をあわせた八苦は苦行によっては乗り越えられないと釈迦は考えた。苦行を捨てたのである。苦行する代わりにその境地にたどりつく真理は那辺にあるのか。教えて下さいとなるが(ならないか笑)禅宗では次の4つがキーワードとなる。すなわち、不立文字、教外別伝である。
不立文字とは、文字によらないで心から心へ伝えられる教え。
教外別伝とは、経典に書いていない直接心へ伝えられる教え。
である。この2つは拈華微笑という故事がもとになっている。釈迦が、説法の場で、一言も口を開かず、一本の花をつまみあげた。ほかの弟子がポカンとする中、摩訶迦葉という弟子がほほえみ、釈迦がこれを見て取って、文字や言葉では完璧には伝えられないが、摩訶迦葉は完全に理解したと語ったという。ただし、これはインド ではなく中国で作られた話だと云われている。
禅のはじまりはとにかく拈華微笑に尽きるのである。教団が成立していくにつれ、唐代に直指人心と見性成仏が加わり、この4つが禅宗の骨子である。4つが出揃って説かれるのは宋代に入ってからである。
直指人心とは、自分の心を掴みだすこと。見性成仏は、自分の中に成仏の資質を見出すことである。
禅宗の修行は坐禅だけでなく、生活様式全般に渡る。たとえば、トイレに行くのも含むのである。仏とはなにか、という問いに、洞山の雲門は「乾屎橛」と答えた。意味は”クソかきベラ”であるが、仏が尊いものだとする固定概念を打ち破るためにこんな回答をしたんだという。このように禅は浄不浄を分けない(それは人間の認識によるもので仏はそんなことはしない)という考え方から来るものである。また、自分のことを謙遜して、臭皮袋といったりする。これはうんち袋である。つまり人間が糞製造機だからこんなことをいう。禅宗が多少強烈なものいいをするのであるが、それこそ、知にすぎると思うのだが、いかがであろうか。
 中国仏教の流れを概観すると、4世紀末に慧遠が廬山に白蓮社という仏教結社をつくった(のちの浄土宗)のが下地である。インド発祥の仏教を値踏みしながら道教や儒教と合わせていくのである。7世紀に玄奘(三蔵法師)が原典回帰をしたりしながら基礎を築いていく流れがあり、同時期の7世紀に、南インドの華厳経も入って、法蔵という大僧侶が中国化をはかっていく。達磨の禅宗もこの頃(6代慧能により)定着する。最後にジャワ経由で密教(金剛)が伝わって一気に中国に広がるということになる。
 このような動きは、インドでは4世紀頃仏教が衰え、たくさんのインドの仏教僧侶がインドをあきらめ中国にやってきた(弾圧を受けてチベットに逃れたという説もある)という流れの中でとらえることもできる。中国で仏教が衰えると日本に中国の高僧がやってくるのである(8世紀の鑑真〜)
 それぞれが、自分の持ってきたものこそ、正当だと力説する中で、禅宗も過激な発言になったという見方もできるのかもしれない。
日本では人気の白楽天はエリート官僚で杭州の地に赴任した知事だ。当時杭州で名が轟いていた道林禅師のもとを尋ねると、なんと樹の上に座っている。白楽天が危ないですぞ、と指摘すると、薪の火が飛び交うように燃え盛っている政治の世界の方がよっぽど危ないと指摘して返した。
これは、白楽天が革新派であり、永貞の改革を断行中であった。しかし唐の貴族層の反発によって挫折することになる。有名な長恨歌はこの挫折への倍返しで書かれたものなのかもしれない。このことをお見通しのような道林の返しである。
 さらに問答は続く、仏の教えとはどのようなものですかと白居易がきくと、”悪いことはせずに良いことをしなさい(诸恶莫作,众善奉行)”ときたので、白居易が、そんなことは3歳の子供でもわかるというと、道林は80歳になるとできなくなるんだといった。これには白居易は納得してその場を辞したという。

在苏杭期间,白居易一边处理公务,恪尽己责,另一边仍潜心佛法。在杭州时曾参访鸟窠禅师,鸟窠道林禅师见山上松树枝叶繁茂如盖,就居于树上,有如鸟儿筑窠而居,故人们称他为鸟窠禅师。
白居易仰观禅师在树上摇摇欲坠,迷惑地说:“禅师住处甚危险。”
禅师说:“太守住处尤险。”
白居易说:“弟子位镇江山,何险之有?”
禅师说:“薪火相交,识性不停。得非险乎?”
白居易再次请教道:“如何是佛法大意?”
禅师说:“诸恶莫作,众善奉行。”
白居易说:“三岁孩儿也解恁么道。”
禅师说:“三岁孩儿虽道得,八十老翁行不得。”
白居易听了禅师的话,十分地欢喜,礼拜而退。

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時刻表 の情報だけで行われる脳内旅行は閉じた世界である。
天候による遅延もなければ、運転手が居眠りすることもない。樹の上に座る僧侶もいないし、不測の事態が起こることもない世界である。その中で運行を制御することは、いわば机上の空論であり、その世界に閉じこもるのは悦楽を感じることもある。しかしながら、自分のプログラムミスがそのとおりにコンピュータは動いてしまうので、辛いことがないとも言えない。
達磨も外界を遮断し、九年も壁に向かっていたほどの僧侶なので辛さがないとは言えぬが、禅は自分と向き合うこと。人間関係に悩むこともないであろうなんて、浅知恵の私は思ったりするのである。さらに、わざわざ樹の上に座して人を驚かすのは悦楽の部類に入ることで、欲を捨てきれてはいないのではないかとも思ったりするのである。喝を入れられてもおかしくない不届き者であるが、禅の世界はなかなか楽しいと思うので、毎年この日は、触れてみたいと思う。

先述したように、世界初の時刻表はトーマス・クックが作った。
トラベラーズチェックやホテルのクーポンはクックが生み出したものである。いまのヨーロッパの旅行文化を支えている立役者といっていいだろう。
最初のナイルクルーズもクックだ。
逸話では、1912年のタイタニックのチケットもクックが発行したものである。時刻表の世界に閉じていれば、悲劇も映画も作られることはないわけである。

En 1845, Thomas Cook organise des voyages à Liverpool. En 1855 il organise, pour les touristes britanniques, le premier circuit touristique à travers l'Europe. Les destinations sont Bruxelles, Cologne, Heidelberg, Baden-Baden, Strasbourg et Paris.
En 1868, il crée les premiers coupons d'hôtel.
En 1869 c'est la première croisière sur le Nil. En 1874, Thomas Cook crée le chèque voyage.
Pour l'anecdote, c'est l'agence Thomas Cook and Son qui a vendu les billets pour la traversée
vers New York à bord du Titanic en 1912.

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<来年の宿題>
・達磨禅師の教え
・枯山水について
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