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今日は蒟蒻の日

 語呂合わせか、529でこんにゃくと読ませる。
ちょっと興味をひいた統計の数字がある。都道府県別の生産量だ。

図2

 群馬県が圧倒的である。全国の59,100tに対し実に55,300tが群馬県で生産されている。時点は栃木県だが、1,360tと大きく離されている。
では、生産している県で一番食べられているのかといえば、そうでもない。
消費量をみてみると、

図1

 これは、年間1人あたりが消費する(食べるんだろうけど)量のグラフである。単位は丁だ。丁という単位は豆腐だけかと思いきや、蒟蒻もこの単位を使う。そういえば、落語の蒟蒻問答も10丁と両手を開いていたっけ。。。
例えて言うなら、江戸のアンジャッシュみたいな禅の師匠と蒟蒻やの店主のやりとりである。
まぁ、それは別として、群馬県が圧倒的シェアなので、当然に消費量一位と思いきや、実は山形県である。どうして山形、秋田でこんなに食べられているかは不勉強でわからない。一大生産地の群馬は第5位・・ちょっと意外だった。
 ところで、蒟蒻はどのくらい前から食べられているのだろうか。ちなみに、いまの製法になったのは江戸時代だとのことである。
 中国語では蒟蒻芋のことを”魔芋”という、と書いたが、これは、あってるといえばあってるんだが、やっぱり少し違う。

中国人吃魔芋的历史堪称悠久,可以追溯到一千七百多年前。只不过那个时候,魔芋的名字并不叫魔芋,而是叫蒟蒻。晋朝左思的《蜀都赋》就有相关记载:“其圃则有蒟蒻茱萸,瓜畴芋区。”刘良注“蒻,草也,其根名蒻,头大者如斗,其肌正白,可以灰汁煮,则凝成,可以苦酒淹食之,蜀人珍焉。”
这段描述中的蒻就是魔芋了。那个时候川蜀百姓就善于用魔芋制作美食,他们用草木灰浸泡的水来处理魔芋,使其变成可口的魔芋豆腐。直到今天,很多地方仍然在采用同样的方法来制作这种口感特别的食品。
公元5世纪,日本将花魔芋引种回国内后,给予了充分的重视。公元14世纪,在奈良建立了“魔芋同业公会”。到18世纪,已经形成栽培、加工和商贸一条龙的贸易体系。第二次世界大战之后,魔芋更是成为支撑日本农村经济复苏的重要作物。到今天,日本已经筛选出了以榛名黑和赤城大玉为代表的魔芋品种。这也就是我们经常在日式料理中见到魔芋的原因所在。

抄訳)中国では1700年ほど前から食してきた長い歴史がある。ただ当時は
魔芋は魔芋とは呼ばれておらず、蒟蒻と呼ばれていた。晋の「蜀都赋」に記録がある(中略)蜀の人が、草の灰を浸した水を使ってこんにゃくを処理し、豆腐にした。いまや多くの場所で同じ製法である。
5世紀になると、日本が導入し、14世紀に奈良に蒟蒻共同組合がつくられる。18世紀までに栽培、加工、貿易の体系が整えられ、第二次大戦後、蒟蒻は復興のための重要な作物だった。今日に至るまで、榛名黒や赤城大玉といったブランドを選定している、という感じで、日本料理の中にはよく蒟蒻が見られるのである。

蒟蒻は古い名前だということである。(道理であまりこの漢字をみないわけだ)製法(すりつぶして固める(豆腐と同じ要領))は中国では昔からのようだ。

ここで、2011年6月1日の過去記事を引用する。
豆腐とBBクリームというタイトルがついてる。

助六といえば歌舞伎の十八番のひとつである
曽我兄弟のあだ討ちの話を江戸時代風に仕立てた
吾妻橋のたもとの花川戸公園には 歌碑がある
助六にゆかりの雲の紫を
     弥陀の利剣で鬼は外なり

助六は江戸時代のヒーローである
粋で美男で、キップがよい
遊女にもよくモテた
今日で言う韓国スターのような人気であったろう
歌舞伎の
助六所縁江戸櫻では、話はそこまでいかないが、
もともとは
小糸が助六の後を追って墓の前で心中する話であった
女郎の誠と卵の四角、あれば晦日に月が出る
という川柳の時代にこんないい太夫がいるのかと
瓦版になったのが話の元である(落語にもなっている)
歌舞伎の台本では
小糸は揚巻太夫という
助六寿司 というのがあるが
稲荷寿司(揚げ)と巻き寿司が一緒に弁当になっている
なので 揚巻 ということだ
助六の愛人だったことから 名づけられたとか
揚巻貝という貝の語源も
2本の水管をたらした様(さま)が花魁の髪型に似ているところから
名がついたという
この貝は、わたしなんかはマテ貝とよく間違うが
有明海にたくさん採れた(過去形)貝である
甘辛い醤油で煮てこれを寿司ネタにしたりするが、
地元の人は、塩茹でをたべる 素晴らしく美味という
30個も一度に食べるひともいる
絶滅させてしまったのは 埋め立てが原因である
いま流通しているほとんどが韓国産だという
助六の
弥陀の利剣とは
邪悪なものを打ち破る仏法や智慧のこと
である
もちろんここでいう剣は比喩に過ぎない
これを武力の正当性と戦時には受け取った
大衆の思想操作に利用されてしまったのである
永井荷風は、下町のわび住まいを見て
たくさんの迷信に貧民がすがる姿を温かい目でみ、
当時の政府やマスコミに毒づいている
レ・ミゼラブルのミリエル司教のような心境なのであろう
迷信といっては叱られるが、
簡単にいうと
稲荷に油揚げをあげたりすることである
荷風はこれを淫祠といった
御厩河岸の榧寺の飴嘗地蔵に飴をあげて虫歯を治そうとしたり
小石川富坂の源覚寺の閻魔に蒟蒻をあげて目を治そうとしたり
することである

私は、政府に敵対する者ではないが、
有明海を埋め立ててしまうのは納得がいかない
そして、現在の民衆の淫祠を利用し
特保の許可、認可をやたら おろして、
薬を飲ませたような錯覚に陥らせるのは
甚だ怒りを覚える
ちょっと興奮してしまったようだ

私は、荷風やミリエル神父のような大人物ではない
のでこの辺でとめておこう
閑話休題
荷風があげた 淫祠のひとつに
百人町の鬼王さまに豆腐をあげるとある
肌によいとのことである
鬼王権現は、日本の神(月夜見命、大物主命、天手力男命)であるから
見当が外れていることはわかっているのだが
なぜかBBクリームを思い出してしまった
いや、権現は平将門である
高麗馬にまたがって強かったという
朝鮮からの帰化人の人たちが所縁の
武蔵で挙兵した将門公なら 
この想起もあながち いい線をついているのかもしれない

過去記事では好き放題書いている。
 ”小石川富坂の源覚寺の閻魔に蒟蒻をあげて目を治そうとしたり”
荷風の淫祠であげた一つである。過去記事では書いてないが出典は日和下駄である。この源覚寺では、閻魔堂に蒟蒻閻魔と奪衣婆 の像がある。
 そもそも 閻魔は地獄の門番で怖い存在である。死んだ直後、閻魔帳を几帳面にもつけてくれていて、人生をトレーシングされてスクリーンに映されるとのこと、、、(ほほぅ自伝やライフログとかはいらないな。。。。)
だから、この世でやった罪状は死んでも消えないと、現世人の脅しで使われるような存在だ。私も幼少期に”言うことをきかないと閻魔様に叱られる”と脅されてしまった。奪衣婆とは、三途の河で持参金を持ってないと、身ぐるみ剥がす婆である。なら裸ならいいだろうといっても、その場合は皮を剥がれる。。。。(といっても死んでるんだから痛くも痒くもないと思うんだが。。。)とにかく、憎まれるような、嫌われ者のようなそんな存在なのに、閻魔堂に祀られ、信仰の対象となっているのはどうした理屈なんだろう。 

日本での奪衣婆の役割
Dans le folklore japonais et principalement dans la doctrine de la Terre Pure du bouddhisme mahāyāna, quand un enfant meurt, son âme doit traverser la rivière Sanzu. Par tradition, un défunt peut traverser la rivière en trois points différents suivant la vie qu'il a vécue, s'acquittant d'un droit de passage de six pièces auprès du passeur. Cependant, puisque l'enfant n'a pas vécu suffisamment longtemps pour avoir assez de bonnes actions à faire valoir, il ne peut traverser la rivière. Sur les berges, l'âme de l'enfant décédé rencontre alors Datsue-ba, qui déshabille alors l'enfant et lui recommande de former un tas de galets suffisamment haut pour qu'il puisse atteindre le paradis. Mais avant que le tas de galets monte assez haut, la vieille, avec l'aide de démons infernaux, renverse le tas. Le moine bodhisattva Ksitigarbha (nommé Jizō, divinité connue au Japon) sauve alors ces âmes condamnées à entasser des galets pour l'éternité sur la berge en les cachant dans sa robe.
愚解説)
●mahayana とは、<大乗>のことである、あらゆる者を救う乗り物のことである。
●bodhisattva Ksitigarbhaとは<地蔵菩薩>のことで、サンスクリット語の
クシティ(大地)ガルバ(胎内)の直訳である。日本では子供の守り神という信仰があるため、地蔵が出てくるのだ。

Quand l'âme supposée traverser est celle d'un adulte, Datsue-ba arrache au pécheur ses vêtements. Son compagnon, le vieux démon Keneō, accroche ensuite ces lambeaux sur une branche qui, en se courbant sur l'eau de la rivière, montre dans le reflet la gravité des péchés de l'adulte. Si le pécheur arrive nu, Datsue-ba l'écorchera. Divers niveaux de punition sont alors appliqués dès ce stade. Pour un voleur, par exemple, elle lui brisera les doigts puis, avec l'aide de son compagnon, lui attachera la tête au niveau des pieds.
愚解説)
●Keneo とは懸衣翁のことで、(こんなのもいるんだ)奪衣婆が脱がせた着物を木の枝に懸けてその撓みによって罪状を計測する老妖怪。泥棒の場合、指を打ち砕き、頭と脚を縛り付けた(Datsue-ba leur brise les doigts et, avec Keneō, attache la tête du pécheur à ses propres pieds.)

 荷風がどんな思いでこれら淫祠をみているのか。日和下駄には、「理窟にも議論にもならぬ馬鹿馬鹿しい処に、よく考えて見ると一種物哀れなような妙な心持のする処があるからである。」と淫祠の項を締めくくる。
 過去記事では、ミリエル司教の哀れみにたとえているが、長編レ・ミゼラブルのの最初の100ページは他の主要な人物が登場する前に割かれている(La mise en situation de Mgr Myriel occupe les cent premières pages des Misérables, avant même que ne soient mentionnés Jean Valjean, Javert ou Fantine.)
 銀食器を盗んだジャンバルジャンを警察から救うために その銀食器は彼への贈り物だとし、銀の蝋燭台をお忘れですよ、と差し出したミリエル司教。盗人に対しひどい仕打ちをする閻魔や奪衣婆の怖さは震えるほどだが、
ミリエル司教の盗人を救う慈悲に溢れた態度は心を打つ、実に対照的だ。
 さらに、その怖いはずの存在に賄賂ともいえる蒟蒻をあげて目を治してもらおうとすがる姿は、蒟蒻問答を地で行くようなチグハグさを感じるのである。
しかし一方で、荷風の書いたような哀れみとともに、可愛らしさがあるのだ。
 憎むべき対象までも習合していく倒錯的な信仰は、子供を食らっていた鬼子母神が改心し子供の守護神となったように、ベクトルの方向を変えたということのだろう。
 つまり、力への崇拝といったことなのであるが、悪の力(ヒール)のほうが効き目があるように思えるのは、そのまま生活の苦しさの裏返しのようにも思えるのである。地蔵さんは正攻法で解決するだろうけれど、それでは通用しない問題をかかえているということは、苦しいんだろうなと思うわけだが、もしかしたら、そんなことはなく、そんな問題を悪役を使ってやっつけちゃおうみたいな茶目っ気も江戸庶民に感じて、勝手に楽しくなるのである。






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