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「ゴミを見るような目」までやさしいシャイニーカラーズ

そういう話です。
「アジェンダ283」の大いなるスポイル。


「赤子の手をひねる」が容易であることのたとえに用いられる時、いやいやいやいや無理じゃね!?倫理的に最も無理なことじゃね!?と思うのだけど。実際に(物理的に)行うことは容易だけど、実現性を社会的な観点で考えたら到底不可能なこと、の喩えで使ったほうがいいことわざ。

「試着室にジーパン持って入って全裸で出てきたら面白いよな~」
「それ『赤子の手をひねる』ギャグだな」

みたいな。

「ゴミを見るような目で見られてぇ~」というオタクのツイートに共感したり引いたりしながら生きてる僕ですが、彼女たちの「ゴミを見る目」が人それぞれでこんなにも優しく複雑に描かれているということに驚嘆しきりでしたね。

ストレイライトは3人それぞれが常に「目的」がはっきりしていて、その目的がばらばらだけど「手段」や「道筋」が一致している。これは悪役一味の特徴とかぶる。「悪」は秩序をもって統制されていることもあるのだけど、「悪役」はそれぞれの野望や興味に対して、正攻法・王道ルートを通らず行きましょう。となる人々になりやすい。Hackをかます。Cheatを案じる。結果的に割を食ったり成敗されたりする。ストレイライトの選んだ「裏道」は、三流悪役が本音で語り本音で行動する生き生きとした愛される集団であることにも通ずる。
イルミネは抽象的な共通の目的に向かって3人が手を取り合って進んでいくのだけど、プロセスや発見するものがそれぞれ異なる。「見る」「聞く」「言う」をやって理解を深めていく流れが正義で王道で、しかも唯一のものではない多様性と不易流行への納得というのが21世紀的で素晴らしかった。
「ゴミ」に対して、「ゴミ拾い」に対して、「同じ課題」に対してのチームごとの向き合い方も、個人としての向き合い方も異なるものにどう決着を付けるのか、という落としどころの提示に唸った。彼女たちはセレンディップの3人の王子なのかもしれない。

アルストの寓話については「言葉を失った」という感想もあるけど僕はシンプルに「オイオイオイオーイ!!」って爆笑しました。鳥も、魚も、姉も、妹も、きっとゴミたちもが「よかったねえ」と思っている話。ラーメンズ大好きな人が書いたんだと思う。きっと何度も読み直すのはこの話数だ。

アン…の霧子さんと放課…の凛世さんについて思ったことを書くとキリがないので「ディ・モールト良いぞッ!!」とだけ。

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