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悪魔が来たりてなんかずっとしゃべってる

昨晩から母が泊まりに来ている。ひとことでいうと「受難」。

遺伝子なのか生活環境なのか親子というものはおぞましいほど似る。僕は僕と浅くでも関わった人が抱くであろう印象「しつこい」「話が長い」「めんどくさい」というやつ、自分でも自分のしつこさに辟易しているというのに、母は輪をかけて話が長くてしつこくてめんどくさい。「お前という怪物をもってしてもめんどくさいと言わしめる存在、ヤバいな」というのが母だ。

その母をもってしても「超めんどくさい」というジジイ(祖父)がいる。僕と関わる皆さんが感じている僕の面倒くささ、実は3倍くらいに希釈されているのです。「キルアめっちゃ強いな~」と思ってたら親父もジジイもめちゃくちゃ強いじゃないですか。あれ。あれの「めんどくささ」バージョン。

母は関西に住んでいる。色々はしょるべき事情を経て、関西に住んでいる。20~40代を過ごした土地に定期的に帰ってきては「関西という土地と、10年以上経つけど未だに打ち解けていない」という内容を主なトークテーマとして姪としゃべり、姉としゃべり、息子としゃべり、そういう感じのおばさんとして生きた証をこの地に残して帰ってゆく。


さすがに色々な折り合いもついているので「帰れ!!!」とは言わないし思わないのだが、ふすま隔てた部屋で誰かがいることの謎の息苦しさ、こんなにも、こんなにもだったか!?と感じていて、行き場がなさすぎるのでここに書き記さざるを得ない。

母はまあ、普通のよくいる母なので、寝泊まりするとなると自然に「人として生きる空間」を構築するので、部屋は片付いていく。衣服が散乱した室内は床が見えるようになっていたり、「雑然」を形成するというコンセプトで築かれていたアーティファクトたちが「理路整然」へと姿を変えていき、積まれた布だったものは冬服、Tシャツ、など名前と姿を取り戻してあるべき場所へしまわれていたりする。「そんなとこに収納あったの!?」みたいな、僕の知らない物語を紡いでいた。出かける直前にだけ使っていたコロコロ(粘着テープでゴミやホコリなどを吸着させる道具の通称。知ってた?)が、すごい勢いで減っていた。きのうAmazonで注文したコンパクトな掃除機が夕方に届いたらしく、そいつも届くなり酷使されているようだった。ちょっと減ってた。まあそういう「片付いてる!!!」はあるんだけど、それはたぶん社会的な、第三者的な「住環境の最適化」がなされていっているのだけど、雑然と混沌に身を置いて特に苦しまずに暮らしていた僕としては「ああ、やったんだ、へえ」という感想である。これ「正しい人たち」に怒られる感想だな~~。

まあ部屋が片付いていくのは利害関係の「利」として、だ。
(僕としてはそれを「利」と肯定してしまうと、もう何の抵抗も出来なくなるので、そこを「なんか勝手にやってっし」という事にしたい)

「害」というか、もうなんか、自分以外の人と暮らすことへの違和感がこんなにもデカくなっていたのだな~~というのと、大人たち、自分以外の人と折り合いつけて毎日を暮らしていってるのスゲエな~~と。思った。

寝る前にあざらしのぬいぐるみ(ふたり)と話す、
最近購入したでかいテレビにスマートホンを出力し、でっっかい画面で桃子を眺める、星井美希を眺める、などをして「うっっわ……」と言う、
それ系のことができない。
「オタクである」ということ自体は親だろうが誰だろうが開き直っているので、アイマスの映像なども「見るけど?」みたいな感じで流しているのだけど、さすがに素直なリアクションがとれないので身体と精神によくない。「うっわ……」「かわい……」を噛み殺しながら歌い踊る声優さんを眺めるのが苦痛だった。「今から山下七海をじっくり眺めたいので、しばらく出ていってくれないか?母よ」と言いかねない。その30歳の息子という存在がもう怪異ではないのか?魔界に還すべきではないのか?

昨夜母がやってきた瞬間に「いつ帰るの?」と聞いたのだが、「来月の14日に歯医者の予約を入れているので、それまでは居られる」と返答があり、居られる日数を聞いてんじゃないよ、いつ帰ってくれるのかを聞いてんだよ、と思ったのだが、おみやげという名前でものすごい量の食べ物が並べられ、堰を切ったように猛烈にしゃべり始める母と、足柄サービスエリアで買ってきたという「ゆるキャン△」のマシュマロを手に、なんかもうなるがままになるしかない現実に対してなにかをどうこうしようという気力がなくなり、赤福を食べて寝ることにした。


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