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シャニマスとミスチルのオタクに刺さる話

ノクチルってミスチルじゃん

という言論の続きになるのだけど、皆さんミスチルにどういうイメージを抱いていますか。ポップスですか。ドラマの主題歌ですか。売れ線ですか。ベテランですか。反戦ですか。博愛ですか。それらのポジティブでメジャーなイメージは小林武史というプロデューサーさんが構築に大きく影響しているということをご存知ですか。この話は広げませんが。

次。Mr.Childrenのアルバム「Q」を聴いたことがありますか。ない人はサブスクにあるので聴いてみるといいです。ミスチルをよく聴くオタクは、「Q」か「深海」だよね~やっぱり、と言います。それを言うと「ミスチルをよく聴く側」として語ることが許されるからです。大体のアーティストでそういうアルバムがあります。Dir en greyの話をするなら「GAUZE」、スピッツの話をするときは「インディゴ地平線」に触れて、ゲスの極み乙女。の川谷絵音のindigo la Endはここから来ている、というとこまでがそのオタクの入団テストになってしまう時代になってしまいました。そういうオタクはキモいので関わらないでおいたほうがモテます。

さらに脱線すると、僕と旧知のオタク(竹山隆範と田口浩正と松尾諭と、そういうジャンルの見た目の人と全く同じ顔・体型をしている)(日本にそっくりさんが6万体いる。いまあなたが想像した、コミケやメロンブックスによくいる太めのメガネのオタクと寸分違わない見た目をしている)は普通にカワイイ巨乳の女の子と、カッコいいモビルスーツが好きなので、順当に八宮めぐるさんや月岡恋鐘さんのエピソードを集めて読んでいる「いわゆるオタクのシミュレーションゲームのプレイ」をやっていて、僕は典型的な屁理屈こじらせ中二病オタクの錬金術師見習いの死神なので、「シャニマスは攻略とかルートとかそういうゲームじゃないんで。彼女になったらTrueENDとかじゃないから。自分をショタ化して甘やかされる幻想とか捨てたほうがいいし、『誠実な人格』としてアイドルひとりひとりを見たほうがいい。これはルールやモラルや秩序ではなく、『シャニマスと向き合う自分のあり方』としての話」という説教をかました。旧知のオタクの反論は以下。

「浅倉透の『10個、光』を読んでしまった。あまりの透明感にびっくり仰天した。(洗剤のCMか?)さすがに俺でもこれ(シャイニーカラーズ)が、エロい絵にたどり着くための選択肢ゲームじゃないことは気付いている。
しかし、浅倉にそれを気付かされたからといって、急に三峰ルートを読んで理解しようだなんて、浅学で無知な己れには、容易ではないのだ。」

そう云うと旧知のオタクは茂みに身を隠し、その姿を虎へと変貌させた。

虎は「三峰を識るには、まずラーメンズのコントを全部見ないとならない。己れは笑いは好きだが、ラーメンズのやうな小難しい芝居を、笑いだと理解できたためしがないのだ。」僕は「そうさな、無知の知があるのみでは深淵は覗けても、深淵を識るには至らない。彼の愛するを知らずしては、三峰がなぜ魅力的に思えるのか、その端緒も掴めないだろうから。」とのたまい、のんだ煙草を鼻から哲学にして吐き出し、ウヰスキーを旧知の虎に浴びせ掛け、おもむろに自らの小便を虎の頭に放りながら「此れが、ほんたうのタイガーハイボール也。なんと汚いこと」と嘲ったのだった。

今回のまとめです。

・ノクチルはミスチル
・各ジャンル、これを押さえておくと通っぽいというのがある
・その風習はキモいけど、オタクの中では濃い話できて楽しい
・オタクはショタになって美女に甘やかされたい
・ギャルゲーの感覚でシャニマスやると深さにビックリする
・三峰結華の人格に触れる前にラーメンズを全部見る必要がある

ノクチルはミスチル論の補足になりますが、前回お伝えした
「海にて、心は裸になりたがる」は楽曲そのものがノクチルであることは
そりゃそうなんですが、プロデューサーさんとしてどうであるか、どういうたたずまいで、どういう人格であるかの想起が浮き彫りになる描写でもあります。便宜上シャニPとしますが、僕は彼に対してのシャニPという呼び方がしっくりきていません。フォビドゥンガンダムに乗っていそうなので。

ミスチルのアルバム「Q」の、「友とコーヒーと嘘と胃袋」の間奏で
桜井さんがまくしたてている台詞を以下。

何だって飲むよ
人を物真似した 後先とか考えちゃ駄目だよ
だってそもそも今日の自分なんて初めから無いも同然だからね
もういいかい そりゃそうだよ
例えばそれが無茶苦茶な要求だろうが
例えばそれが傲慢な女のワガママだろうとさ
飲むよ 飲ませてちょうだいよ いいねぇ
飲む達人になりたいね
ある意味もうあこがれに近い感じがあるよ
赤塚不二夫にキース・リチャードね 野坂昭如に藤原組長でしょ
粋だねぇ 下町情緒だよね
あぁそれはちょっと違うか 脱線しちゃったね 脱線だょねぇ
でも僕はね 脱線はいいけど惰性で生きちゃ駄目だねぇ
これ僕のポリシーよ 惰性で生きちゃだめ これ僕のポリシー
上手い事入った 上手い事言った

こういう「ミスター・チルドレン」も居るのよということと、
ノクチルの樋口円香という10代と相対するシャニPの在り方も解けてくるのですね。メタでいうと、「ミスター〇〇」という皮肉を多用する人物を作り込んでいったところに、圧倒的な知識を網羅している手練のライターがMr.Childrenの楽曲や歌詞表現に一切ノータッチで書いてるわけなくない?
だいたい同世代が書いたシナリオで浅倉透の「やらかしっぷり」や「アゲインスト感」を見て、「マシンガンをぶっ放せ」の影響を感じずにはいられなくない?というもの。

4人組でバンドっぽくて、ノクチルだからミスチルでしょ、っていう浅いこすり方ではなく、「ノクチルにミスチルを見た」というのが、こじつけにせよ符合にせよ、天塵で海につかるノクチルと向き合ったシャニP、ここに「海にて、心は裸になりたがる」の疾走感があるし、目の前にいる幼い4人の「消極的なあなた」「上から目線のあなた」「わがまま過ぎるあなた」「自惚れが強いあなた」に向けて、心の底からの「きっと世界はあなたに会いたがっているよ」というメッセージをたたえながらネクタイをゆるめて海へ走り出そうとしている若い子供のような青年=Mr.Childrenを見出しているのです。

ここでひぐっちょvsシャニPの在り方に「友とコーヒーと嘘と胃袋」をハッキリガッツリ見ちゃったのもあるんですけど、「youthful days」のノクチルも遠からず見れるだろうし、「Any」の小糸ちゃんを見たら嬉しくて泣いてしまうし、「ラヴ・コネクション」の雛菜さんをくらったら僕は心臓が爆発してしまう。性的なメタファーも、直接的に卑猥な言葉もあるけど舗装された道を快速で飛ばしていく感じが実にミスチルなノクチルなんじゃないかなと思う。

僕が一番好きで一番聴いてたアルバムが「シフクノオト」なんですが、これについて僕の見解だと、個人的な情欲や野望があり、好奇心や情熱があり、個人間の(おもに愛憎的な)衝突・摩擦・軋轢があり、奇妙な夢・死の淵の境目での生命への皮膚のような薄いつながりを経て、「自己」を明確にした小さなヒーローの宿命が、反戦や博愛のようなテーマに広がってくといったミスチルにとっての「枠組みの分岐点」みたいなイメージがあります。「私服の音」から「至福note」になっていく感じの。

この記事のヘッダーは天才のポプちゃん@8o_jicityが作ってくれましたね。
天才たちと作った本もあって、僕は天才たちと本を作ったことがあります。死ぬまで自慢するんだろうな。

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