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大人のうつわがデカければ僕は大女優だった

職場で「今年の目標を色紙に書く」といういまどきではないヤバすぎるしきたりがあり、めちゃめちゃ正直に書いたら書き直しを命じられてしまった。

逃げ道で「節約」などで相談してみたのだが「具体的じゃない」などのダメ出しで蹴られ、いい歳なのに「居残り」をして「持ち帰り」をしている。1発めから可も不可もない目標を掲げてすんなりスルーされている人々と、まじでやりたいことを正直に書いた僕が言論弾圧と同調圧力をかけられたあと、無難な目標も却下されるという非常にみじめな流れになっている。

「あいつあんなことでストップかけられてるのか」という心の声が聞こえるが、少なくとも僕は1回目で「無難」と「建前」をしなかったのだ。なんとなくの向上心アピールとかではなく、「この目標を1年間掲げる」という覚悟で書いて「書き直してください。」というメールをくらったのだ。

小6の時の卒業アルバムの「夢」に、「大女優」と書いて担任に「なんだこれは」「おちゃらけんな」「書き直せ」と言われた。僕が本気で大女優になりたいと思っていると微塵も思わなかったのだろうか。そのとき家庭が荒れていたので「良い父親」と書き直して提出した。ジェンダー観に絶望し、こういうおじさんたちの感性を駆逐しない限りはこの社会で「夢」を語るのは不可能だ、と思った。

つまり12さいのときと何も変わらず全く同じことで大人に怒られている!!
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


僕が掲げた目標は「アイドル事業部 爆誕」だったのだけど、こういうアプローチがわずかでも可能性のある業種だと思っていたし、それをやって採算がとれるような構想(そんなもん99%だめでもオタクのプレゼンを聞くだけ聞いてみてから却下すればいいじゃん)の上で、決して大喜利でもボケでもなく書いているので、今後「ああ、やっぱな」という諦観で仕事をすることとなる。「ありうる」「できうる」がない、0%にされた以上は今の職場は労働をして賃金を得るためだけに時間を対価にする場となった。上司が軽口をたたきながらも「そういう感性」への受け皿を用意できないタイプの大人だったということで、僕のポテンシャルとモチベーションはここで終わり、今後に活かされうる僕の有能さ、もし当たった時に「僕を受け入れて育てた」ということによる見返りなどもなくなった。あなたたちを僕は見限ってしまったのだ!!!

という まだ思春期の30代の夢を君は笑うかい。
「夢を語れ」「目標を掲げろ」という大人は、僕の「夢を紡ぐ存在を作る」という目標を失笑で一蹴したのだ。君の夢は君が今いるところで叶えられそうですか?僕はそうでもありません。ああ、サンタマリア。彼らはあわれにも、めしいているのです。感受性の強いオタクという眼鏡をかけると、こんなにもきらめく夢たちを見られるということを、僕は震えながら彼らに説いていました。mercy. 彼らが彼らのやるべきことをやっていれば、社会はこんなふうにはなっていなかった。

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