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アイマスMRについての批判的追究

アイドルマスター、MR(略)なんやらなんやらを観た。

どこがどう良かったというのを振り返っていると現実が嫌になってしまうのと、それらについては何度も観てガッツリ褒め称える班がいるので、そっちのファンブログやデータベースを見たらいいと思う。
アイマスについて書くとき、「アイマスを知らない人によりわかりやすく知ってもらいたい」とかがあんまりない。もちろん「初見の人があーだこーだ言いながら、良さに気付いてどっぷりハマっていくまで」を観察するのは最高の娯楽なのだけど、先達が手取り足取りレクチャーして、それを受動的に見て、っていう楽しみ方もあんまりだと思う。要するに面倒くさい排他的なオタクという感じなのだけれど。
穴場の美味しい店、バレると混みすぎてしまうから教えないけど、そのうまさを知るものとか、近い味覚で楽しめそうな人には教えていきたい的な感覚であればすこしポジティブかもしれない。

・現実に「居る」と錯覚する
これはそれほどでもなかった。幸運にもチケットが最前席だったのと、ミリオンライブのやりすぎ、アイマスのライブに(妄執的に)ハマりすぎなのが原因だと思う。受け手の問題。「構造物に近すぎる」ことと、スクリーンとプロジェクターの仕組みをある程度理解してしまっていて、「この光がここに投射されて、奥行きがあるように見えるんだな」とかを最初に考えてしまったので非常によくない。

あと「現実だ」ではなく「技術スゴイ」という脳の認識になった点としては、事故で映像が止まったこと。「アイドルが動いてる!」から「あっ 映像止まった」になった瞬間ではあると思う。双海亜美と真美に髪型をあわせたダンサーさんが出てきたことで「そういうパフォーマンスです」感が増したというのもある。

・板付き
・転換が早い

だいたい全曲が板付きだった。ポップアップや前奏流れてからの出ハケ、という舞台演出は特になかった。舞台装置による「じらし」がないことで、「セットリストの再生」という感覚を抱いてしまった。現実のアイマスや他のライブを見すぎていると「曲から曲への間隔が極端に短い」ということに気付く。これは人間ではなくバーチャルだからこそ、移動にも着替えにも時間を取らないという革新的な技術なのだが、曲と曲の「間」や、アイドル以外のインストやダンサーで繋いでいるブレイクなど、人間のステージにおいて努力と工夫でなんとかしてきていたものに観客はいつのまにか情緒と趣きを感じて、そこにライブ感だったりリアリティだったりも感じるように仕込まれていたのかもな、と思った。
水瀬伊織さんでキメて、暗転して1秒で水着の我那覇響さんが出てくる。これは科学じゃなかったら魔法でしょ、というようなハイパーな技術だし、本来なら準備時間として「ないほうがいい、短いに越したことはない時間」がゼロバッファで実現されると、場面転換、幕間は「リアリティにおいては必要な時間」だったということがわかる。
データの再生においては不要だし、わざとらしいものなのかもしれないけど、舞台に「バミりのテープ」などあったらガチ感が増したかもしれない。
アイドル同士がすれ違うとき、奥行きのなさがわかる近さだと「重なる」に見えてしまうこともあり、バミりで擬似的な奥行きの錯視ができるかもしれない。

「統覚制作委員会」で、アイドルの概念上での哲学的な実在化を掘りまくっていたし、声オタゆえ「演者さん」というサブジャンルも掘り下げすぎてしまっていた(袖のブースに下田さんがいて、生でレスポンスをしてくれている!という興奮にシフトしている)ので、技術的な現実化については脳が厳しめにジャッジを出してしまっていた。

とはいえ「はじめてのアイマスのライブ」がMRだったら衝撃を受けると思う。単純に映像として立体感や未来感、そして確かな満足感がすごくある。「映画の距離」だったら奥行きも感じられるし、アイドルごとに細かな動きが異なっていたり、遅れやズレに感激できるはず。
これは「普段のミリシタがいかにスゴいか」という再認識にもなった。

一貫して「765ASのアイドルは実在している、それを確信してくださいね~」という主張は一切していないので、これは別にダメ出しでもなんでもなくて「めっちゃすごい技術だったわ」という話。

あと個人的にはバンダイナムコやアイドルのアニメ・ゲーム屋さんたちは「向こうの次元で実在しているアイドルたちを、なんとかこっちの人間が見られる、認識できるように編集してくれる仕事」だと思っているので、実存はしているし、我々が見えるようになっていないだけだし、実際のアイドルはもっと遥かに克明でかわいい。「VR化の時点でかなりほんものの彼女たちに近い良さ・また違う良さを実現している」というだけ。

総合的にめちゃくちゃすごかったし、毎週あったら毎週観たい。ステージの星井美希は星井美希だったし、出てきたときに心を奪われ、一挙手一投足から目を離せなかった(恋、である)。それはアニメでも文字でも星井美希という概念を見付けると同じ状態になるのだが(恋なので)、それでも動いて歌って踊る星井美希の感動の威力たるや。モデルがステラステージのそれなので、プロジェクトルミナスのモデルやエンジンを活用して、双葉杏や甜花ちゃんがこれで動いたらどうなる?人類が肉体を捨て去る時が来るのか?

VRシアターをこれで閉じるということは、ほぼ間違いなく「これ以上のものを作る」という変態的な向上心にもとづいてハイエンドのメーカーが示した決断だと思う。二次元アイドルについて僕の思い描いていた「実在の確信」というコンテンツではなくて、MRライブそして更なるステージは「永遠と恒久」というテーマかもしれない。

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