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特別ではないあなたたちへ

・「ノクチルを好きと言わなくてはだめか?」という話
・ならびに「シャイニーカラーズを全肯定するべきか?」という話

これは「でましたよ~ 得意の逆張りが!!だからウザいんだよな~」だったり、「別にお前がどう思ってようが知らんし、あっちいってろ」だったり、こういう主張があった時に、言葉にしないけどそれらが好きな人々に生じる反発や反感をざっくりと言葉にしたもの。を、踏まえて、「僕は僕に対して、そうも思っている」ということを含めて、思うことを言わなきゃあしょうがないという性分でやっていく。

盛り上がってるとこ申し訳ないとも思うし、話題の少女達にケチを付けて水を差したいというつもりでもない。わざわざ反感を買いに行こうとしている?それは多少あるかもしれない。が、「思うこと」が反感を買うであろうということ、空気読めないやつだな~という印象になること、それらを気にして「言わないでおく」ということが後々自分が生きるうえで息苦しいかもしれないので、大いなるエゴをもって書き記しておく。

まず。これは宗教として「アイドルマスターを愛している」というくくりの中で、シャイニーカラーズにノクチルというユニットが新しく参入するという告示があり、その子たちの素性や言行が徐々に明かされる、その毎にユーザーのコミュニティにおいて阿鼻叫喚、おもに「ありがとう」「うれしい」「大好き」といったリアクションがなされる事、これらはいい。すばらしい。全然いい。ただ、「2:6:2の法則」にもあるように、人それぞれの人への興味が、「好き:どうでもいい:嫌い」があり、アイドルマスターひいてはシャイニーカラーズは実在性や「人間のリアルな感情の描写」に定評があり、人格としての掘り下げがめちゃくちゃすごく「よくできてる」ので、
「シャニマスはリアリティがすごい」という「褒め・好き」が前面に押し出されていて、「シャニマスの子ぜんいん大好き」に、なってしまいやすい。
そして、そう言っておいたほうがファンコミュニティにおいても「非常に楽」なのである。これは僕が今から述べる極論に対しての保険というか、長い長い前置きなのだけれど。

「俺、じつはノクチルの事、そうでもないんだー!!!!!」

これを言うことにそこそこのためらいがある。僕はシャニマスの人物たちにそりゃあもう「人格」を認めている。アイドルゲームという特性上、「こうみえて良いところある子」や、ギャップや真意を経て「好き」に行き着くような人物描写になっており、そしたらもちろん前述の2:6:2の「好き」の要素を集めて構成されているので、わりと「嫌い」に偏りやすい、卑屈なデブとか、とりあえず相手の逆鱗に触れまくっていくやつとか、ところかまわず面白くないことを(面白いと思って)言っているやつとか、愛玩動物をいじめてるやつとかは除外されている。(当たり前だ……)マジの「嫌い」が出てきにくいように調整されているのでアイドルたちへの印象は「好き」か「どうでもいい」で、とりわけ「好き」に印象がいくように仕上がっている。そこは納得だし。好きになるしかない子がほとんどだし、10割好きだよ何いってんだボケ、と思うユーザーが多くいることも理解できる。

で、まずその「リアリティがすごい」という評価があり、そしたら「アイドルの描写」もすごくて、振る舞いや生き方を垣間見る機会を経て、そうすると「いい作品」と、「いい登場人物」は混同されやすくなる。
しかし僕はリアルであればあるほど、登場人物に対してのわかりあえなさとか、反感とか、「まじで折り合いつかない気持ち」も湧き上がってきて、それは作品のすごさでもあるし、なので「肯定的な意味での嫌悪」だったり、「全員のやることなすことオール星5評価にしてしまうことへの反発」は、自分の中でのバランスをとるためにすごく必要だと感じていたのである。
たしかに浅倉透は存在として美しい。芸術的。やりとりのひとつひとつ、関わりのすべてが特別でも素朴でもあって「ウオー」となる。「キャーッ」ともなる。が、個人にとって「好き」はやはりまた別格に特別なものでなくてはならない。と思っている。浅倉透を、ノクチルを目撃して、観察して、このアイドルすごいし、この子たちすごいな、そしてシャニマスすごいもんぶっこんできたな、というとこまで理解って、じゃあそのすごい子たちを「人格」として並べてみた時、でもやっぱ大崎姉妹は「別格に好き」だなとか、仕事で関わるとしても同年代で関わるとしても園田智代子さんが一番リアルに好きだなとか、そういう想いは固執していきたいのである。それが「特別」ということなので。それをまとめて極論にすると

「俺、アイマスにおいて、そうでもない子も結構いるなあー!!!!!」

という主張になってしまうのである。
すでにノクチルを大好きになっている人々も多くいる中で、自分が好きでいるものを「俺はそうでもない!!!」と言われる不快感もわかる。が、僕もそれを「他人の思うことだから」と受け流したり、「うるせーよハゲ」と内心でキレてブロックしたりと色々なやり過ごし方をしてきた。僕にとってアイマスはもう現実よりも現実である以上、現実ぐらいシビアに「好き:どうでもいい:嫌い」を分けていく必要があると思ったし、ファンが多いから褒めとく、流行ってるから乗っかっとく、ではなく「ノクチル褒めすぎてアルストがアルストでいられなくなるのは非常に困るな」とか「園田さんに、そのままで最高だということを伝えなくては」とか考えて結構ナーバスになるほどの日々を過ごしていたので、主張をさせていただいた。

283に勤めるPが複数次元と世界線にまたがって仕事をしているのか、ひとりで24人以上を同時間軸であの密度で相手しているのかは解釈に委ねられるところだが、ひとりの観測者として思うことを述べると「放クラがいちばん仕事しやすくて毎日たのしくプロデュースできるな~~!!!」とかそういうことで、当分ノクチルにワーキャーをやっていい。やっていっていい。のだけれど、僕はみなさんの、あなたにとっての、あなただけのアイドルが、特別であり続けたらいいと思うし、少なくとも僕は彼女が「特別」だと表現するために、「特にそうでもない子とは、別」であることを彼女に伝えたかった。そういう愛情表現をするほかなかったのだ。

浅倉も比較に用いてすまん。君が一番だ!!という人も大勢いるだろうし、その大勢に対して君たちは特になんとも思わないかもしれない。いいんだそれで。ただ、風邪をひかないように。風邪を……ひかないように……な……。




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