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夢の中のまっすぐな道、アイドルの住む街

1.夢を見た。

2.「知ってる情報に置き換えたい」というプロセス

3.そうではない、「ここではない、どこか」を生でやったらどうなる


1.夢の中の千葉駅にいた。千葉駅はターミナル、ハブ駅なので色んな乗り換えがある。
僕は「家に帰ろう」としていて、電車に乗ったときは確かに地元に行く色で、「〇〇行き」も住んでる家のある駅が書いてあったように思う。

乗客はまばらで、千葉の電車あるある「ボックス席」で4人座れるけど3人うまってるから立ってる、ドア側の2人掛けに座れたら良いなぁ、という状態なのだが、なんか雰囲気が知ってるのと違う。

ドアの上についてる行き先の電光掲示板に
「next SW」
「次は 権田木」
と表示された。
ここで「乗るべき電車を間違えた」ことに気付く。どこなんだ権田木。
千葉でそこそこ生きているので千葉から出るJRの路線は全部わかるはずだが、まるで旅先のような未知・ジャメヴュが降りかかってきたので、
乗客に「これ蘇我のほう行かないですよね?何線ですか?」と聞いた。

「とんねるず線です」と言われた。ので、「とんねるず線て笑」となった。
なんですか、とんねるず線って。どういう街?という掴み所のない質問を、長い茶髪の、カラシ色のコートの女性に聞くと、「イエローモータースとかある、まあ普通の住宅地」といったニュアンスの返答があり、
イエローモータースも分かんねえよ、となった。

乗客が全員とんねるず線で家路に向かっているのも面白くなってしまったのだが、「明日は仕事があるから帰らなきゃ」という意識はずっとあり、
権田木で降りて千葉に戻るか考えているうちに
通勤快速ぐらい停まる駅が少ない状態になって、
戻るにも乗り換えるにも「白根四谷」まで行ってしまうことになった。

「白根四谷」からタクシーに乗って別の路線に行って、裏ルートを使えばなんとか家の方に帰れるはず……と思っていたら名前も覚えてない駅でポンと降りて、
21時〜終電くらいの感覚だったのが突如として薄暮で、
マンション団地が広がる、人の気配の無い街に放り出された。
「奇界遺産」にあるようなゴーストタウンで、でもマンションのロビーにアメジストの原石のドーム状のオブジェ(微妙〜な金持ちの玄関にあるやつ)があったり、
「そういうの好きな日本人の、団地のおばちゃん」の気配を強く感じる街だったので、ここは千葉のどこかで、活気のない、変な街に来てしまったんだな、と思って途方に暮れた。

2.夢から覚めて、悪夢性は高いけど「現実じゃなくて良かったわ〜」と思ったのと、僕の中での「知らん街」の描写が結構克明で、
いろいろ思い出す出来事もあったので気付いたのだが、未知をまとめるときに「知ってる情報に置き換えて納得したい」という傾向が僕はとても強いなぁと思った。

千葉で、たとえば船橋でも「知らん街」「わけわからんエリア」はたくさんある。それは当然で、郊外の住宅地でも、都市部の一等地でも、離島の農村でも、「自分が生まれ育った街」だから学校や建物、人々の暮らしがどんな風であるかをよく知っているだけで、
その街に「ゆかりのない日本人」として訪れた場合、もちろん「知らん街」になる。

20代でやってた仕事が、いくつかあるけど大体「知らん街」に行ってなんかよくわからんことをするやつだったので、
東京は「新宿・中野・吉祥寺より西に行くとマジ田舎でヤバい」とか、
千葉・神奈川で「文字や駅名でしか知らなかった街」や、「地名ですら知らなかった路線、場所」の荒寥とした恐怖はかなり印象に残っている。特に「団地」というテーマは、閉じられた社会だったり、団地の中で起きている出来事の「外から見た時のどうでもよさ」と、「こんなに人類が棲息しているのか」と、
生態!!とか歴史!!とか、同じホモサピエンスなのにファーブルと昆虫のようになるというか、人類を俯瞰で見る感覚にすごくなるのと同時に、「人類を観察する、超人」という立場は絶対にあると思えてしまう。
団地とフードコートは、超人が作った「アリの巣観察キット」だと思う。

3.そうすることが自己防衛、適応機制であり、知的欲求と好奇心なのかもしれないが、
「ここは千葉だ」という安心感や納得を自分で用意できない場合。どうなってしまうのだろう。

現代はある程度「自分で決められる世の中」だとは思っている。それが意識しないところで誰か、メディアに操られてたりすることはあるかもしれないが、夜逃げとか駆け落ちとか、疎開とか徴兵のような「突如として、否応なく知らない環境に放り込まれる。そうせざるを得ない」リスクというか可能性は少ない時代だと思う。

それでいうと「生まれ育つ環境」だけは誰も選べないし、誰も事前に知ることのできない、産まれる前に決められてしまう、最も重要で大きな分岐点になる博打なのかもしれないな〜。僕は今のところトータルで負けてる気がしていて、これからの引きでそこそこの勝ちに持ってかないとな〜と思っている(結局負ける人の思考っぽいけど大丈夫?)


シャイニーカラーズについて。
僕がかなり過激派、断定気味の言論で「浅倉透は京王永山で生まれ育っていて、こういう環境でこういう感じだ!」と発表しているのは、
きっと2.にあるような「知ってる情報への当てはめ」で、より不透明で判然としていないものを「見える化」していきたいという欲求があって、
「っぽい」を「である」に出来るところはしていき、出来ないところは「ここがブラックボックス」である。マヨヒガである。アビスである。と結論付けることで透明から鮮明にしていっているのだと思う。

「聖蹟桜ヶ丘にある事務所」から「樹里ちゃんの寮」に帰るまでに、「谷中銀座の商店街」を通る。つまり283界(翼界)は現実との合理化をむりやり果たそうとすると、
聖蹟-マヨヒガ-谷中銀座-アビス-女子寮というアクセスになる。この感じって僕がさっき見た夢と同じで、めっちゃ知ってる「千葉駅」から、「とんねるず線」に乗ってしまうと、「権田木」を通って「イエローモータース」がある「白根四谷」の近くの「知らん団地」に着いちゃう、みたいなところに翼界があるのだろうなと思う。

この感覚は「きさらぎ駅」にもあるし、銀河鉄道の夜「白鳥の停車場」にもあるし、智代子さんが「千葉」から通う街にもあって、樹里ちゃんが暮らす寮と、神奈川の実家の間にもある。
「うわっ!」という共感覚を持ったあなた達の、生まれ育った街と、いま住んでる街と、行ったことのある「知らん街」と、夢の中の「知らん路線」で行く見たことない街と、彼女たちの住む街が、きっと繋がっている。

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