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休日の過ごし方

 日々「休日に何しようかな」とあれこれ夢見て平日を過ごすものの、いざ休日になると何をすればいいかわからず困惑したまま時間が過ぎて辛い思いをしています。

 特に、今日みたいな天気が良くて暑くて人が大勢で歩いている休日などは、昼の時点ですでに疲れ果て何もする気が起きず、でも何もしないともったいないという焦燥感に駆られ、落ち着いてソファに寝転びカーテンの隙間から青い空を見上げることすらできない。そこでふと、昼間からお酒を飲みながら放置していたブログを書いたら贅沢なんじゃない?と思い立って書いてます。

最後に書いたのは1年前。熱しやすく冷めやすい、3日坊主という言葉が私という人間をよく表現している。

でも結局人それぞれだと思うんですよね。コツコツ継続することで力を発揮する人もいれば、瞬間的な爆発力的な何かが輝く人もいるし。どれが正解ということもない。

昔からブログを書くのは好き。
書いてる時間って、なんというか自分と向き合ってる感じがする。
悶々と頭の中で考えるよりも、少し自分というものから距離を置いて、客観的に自分を見れてるというか。それでいて言語化して、ちゃんと形になるから達成感がある。

ドラマ「光る君へ」でも、事あるごとに「日記に書け」「朝に日々のまとめを書いてるよ」と日記を書くことを推奨してるし。

ダラダラと雑多に思ってることを書くのも好きだし、何かテーマ一つに関して書くのも好き。職場の年間誌で数年に1回その回のテーマに関して原稿を書くことがあるのだけれど、そういうのすごく好き。何回も推敲しちゃうし、他の人が書いたものを読むのも好き。言われてみれば、本も小説よりもエッセイ集の方が好きだったな。

別に上手い文章なんて書けないし、知人がしれっと書いた面白い文章を読むと思わず唸ってしまうのだけれど、最近では、上手下手というよりいかに自分が満足できるか、それに尽きるよなと思う。人一倍自意識過剰で他人の目が気になって仕方ないので、私の人生のテーマはいかに自己満足を極めるかです。

ブログはいいよね、自分のペースで、自分の好きなことを、延々つらつら話せるし。
人と会話するのも好きだけど、いかんせんあがり症で、話そうとすると相手の表情とか視線とか立ち居振る舞いだけじゃなくて自分の瞬きの頻度とか声の高さとかそういう色んなことが気になって気になって正直リラックスして話すどころじゃないというか。そういった若干社交不安的な要素に負けずにそれなりに今現在社会適応している自分を私はもっと褒めてあげてもいいと思ってる。えらいぞー。
でもそういうのを抱えつつも頑張って社会適応している人も大勢見てるし、そういうのに圧倒されて社会の歯車からこぼれ落ちていく人も大勢見ている。その違いってなんなんだろうなといつも思ってる。運?

そういうのが無くたって、きっと別のことでみんな人それぞれ悩んでいて、でもそれは所詮他人事でしかなくて、そういうことを本質的に共有することができないのは寂しいなと思うし、逆に共有できてしまったらそれは自他境界が曖昧なのだということに他ならないので不健全極まりない。とすれば、孤独や寂しさを抱えながら生きていくのが健全な人生ということなんだろうな。人生って難しい。

じゃあ健全な幸せってなんなんだろう。そういう本質的なものじゃなくて、たとえばあの映画面白かったね、とか、これおいしいね、とかそういう表面的な物事を共有・共感することが健全な幸せなんだろうと思う。逆にそれができる相手がいれば及第点なのであって、それ以上を望むことは幸福よりも不健全さが上回ってしまうということになり。そういうのって皆人生のどの段階で学ぶものなの?小学生?それとも皆現在進行形で学習中?

話は変わるけれど、何かを渇望している人の姿を見るのが好き。だから何かに熱中しているとか、野心を抱いて努力している人は好き。人間味を感じる。もちろん人に迷惑をかけない範囲内で。多分自分が常に物足りなさや枯渇感を感じているから。
現状に満足している人を見るのはつまらない。穏やかで安定感があって、少なくとも他人に害を与えることはない安心感がある。そういう人も好きではあるけれど、永遠に分かり合えない寂しさを感じる。

こうして書いていると、自分がいかに「寂しさ」や「孤独感」を恐れているのかっていうのが見えてきて恥ずかしい。出てくる回数が多いもの。でもそれと同時に、そういったものに自分のアイデンティティというか、自分らしさを見出しているようでさらに打ちのめされた気持ちになる。でもきっと他人にそれを指摘されたらきっと激昂するし、そういったものを気取られるのではないかと思うと他人と関わるのが怖くなる。でも同時にそういったものを察して欲しい、察したからには責任を持って溢れるぐらいに埋めて欲しい、そういった感情が溢れてしまいそうでさらに人と関わるのが怖くなる。そういった過敏さを、年齢とともに少しずつ失っていくことを正直悲しいと思ってる。でも自分らしさって、多分移ろいゆくものだし、なんなら日替わりだよね。
自分というものを理解するのは多分何よりも難しいし、他人にも求められていないから、せいぜい他人の会話で「朝の占い番組でラッキーアイテムは⚪︎⚪︎でした!」って自己紹介できれば多分上々。

大分話が迂遠になってきたのでこの辺りで終わり。

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