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ゲームを全くやらない私がなぜ「THE LAST OF US 2」を発売初日に買ったのか

今月発売された「THE LAST OF US 2」(以下ラスアス2)を32時間かけてとうとうクリアすることができた。 多くのプレイヤーと同じように、このゲームの内容に驚愕し、戸惑い、受け入れ難く感じるところもあった。しかし最後までたどり着いたとき、絶対に記事にしなければならない強く思うほど、この作品はやはり素晴らしかった。
今作品の素晴らしさを語る前に、なぜ私がこの作品と出会ったのか、前作の振り返りなども書きたいと思っている。文章が書け次第どんどん記事にしていく予定です。


以下 ネタバレ注意



前作がでたのが2013年、7年前だ。以下は前作のあらすじである。

ある日突然、謎の寄生菌によって感染すると人間が自我を失い、驚異的なスピードで”ゾンビ”化してしまうパンデミックがアメリカ全土で起こる。主人公・ジョエルはその騒動の中、愛娘のサラを亡くしてしまう。20年後、未だ続く混乱で荒廃した都市では、横暴な政府組織による理不尽な殺人や配給カードが闇取引されるなど、文明は崩壊していた。
ジョエルはそんな無法地帯で生きていたが、寄生菌に免疫を持っている可能性のある少女・エリーに出会う。過激派集団・ファイアフライから、エリーの免疫を調べるためにある場所へ彼女を届けることを頼まれる。危険すぎる依頼に最初は渋っていたジョエルだが、エリーを障害から守り一緒に旅をすることで、特別な絆が深まっていく。
アメリカを縦断し、ついに抗体を研究している病院にたどり着くが、脳細胞をとる過程でエリーは死ななければいけないと説明される。過酷な旅の終わりに、ジョエルがとった行動とは。

前作「THE LAST OF US」(以下ラスアス)は現在までで約1700万本以上売れているメガヒット作品である。重いテーマな上に大団円とは言えないラストで、賛否のどちらも多い内容になっている。


個人的な話をしたい。私は幼少期からゲームを禁じられて育った。もっといえば、ゲームが欲しければお小遣いを貯めて買いなさいと言われていた。でも微々たるお小遣いをゲームのために貯めるなんて無理だった。幼馴染の家にはスーファミも64もプレステもあったからたまにやらせてもらったくらいで、私の人生にゲームはほとんど介入しなかった。
そんな私がラスアスをやることになったのは、当時付き合っていた彼と同棲を始めたときだ。ゲーマーな彼が”一番好きなゲーム”と断言するものだと知っていたから、彼が新居に持ち込んだPS4でプレイしようと思ったのだ。

私はいわゆる”ゲーム脳”というものを一切持ち合わせていなかった。今までほとんどゲームをやったことがないから当たり前ではあるが、単純にコントローラーの操作に慣れるのに時間がかかったし、「こういう場面はこういう抜け方が常識」などのゲームあるあるもやりながら覚えた。ラスアスは、サバイバルアクションゲームである。銃などでバンバン人を殺さなければいけないし、強い感染者に気づかれずに通りぬける技術も必要だった。ステルスとかエイムとかっていう単語も覚えた。
ゲーム初心者が挑戦するようなものではなかったかもしれない。難しい!怖い!無理!と悲鳴をあげながらもどんどん進めていくことができたのは、道に迷ったときのヒント機能や何度死んでも復活できるような絶妙なゲームバランスのおかげでもあるが、ストーリーの素晴らしさに勝る理由はない。


ストーリーの素晴らしさ
一言で表せと言われればこれしかないのだが、言葉とはなんて貧困なのだと思ってしまうほど、ラストオブアスの物語はすごかった。ラスアスはよく映画のようだと表現される。様々な映画に、「人生が変わる!」というキャッチコピーが使われるように、ラスアスは、映画のような“人生が変わる”ゲームだ。

ゲームをやってこなかった私にとって、ゲームへの期待度は低かったし、難しいできないと感じればポイとやめてしまえるものだった。つまり重要度が低いのだ。それよりも優先して楽しむコンテンツはたくさんあるからだ。私はゲームの楽しさを知らなかった。

ラスアスは難しかった。EASYモードがあるとはいえ、コントローラーのL2を押しながらスティックで動いてる人を狙い、R2で銃を撃つなんて高度な操作!隠されたはしごを探して建物にかけて進むなどのゲーム的推理要素!ゲームをやりなれていないために難しいと感じる部分は人より多かったと思う。それでも何十時間もかけてクリアした。それは、どうしてもどうしても、どうしてもこの物語がどう終わるのかが知りたかったからだ。操作しているうちに感情移入させられる登場人物たちがどんな道を選ぶのか、絶望的な世界がどうなっていくのか、作りこまれ広げられた話の風呂敷をどうたたむのか。それを知るには自分の操作性や時間やひらめきが必要だった。

私は小説や漫画が好きだけれど、それを楽しむのに自分の努力は必要ない。だけどゲームは違う、自分の努力で物語が進むのだ。最後までクリアすることは自分のそれまでの努力が成し遂げたことなんだと知った。だからこんなに多くの人が夢中になるものなんだと。私は何度もできない、わからないと絶望しながらも「どうしてもストーリーの最後が見たい!」その一心でコントローラーを握っていた。それほどこのゲームに感情移入し、心を揺さぶられ、夢中になっていた。ラストオブアスは、私にとって本当に特別なゲームになったのだった。


そんな、ゲームを全くやらない私の心をつかんだ前作については、次の記事で語りたいと思う。



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