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忘れてもいいこと

相変わらず葬儀の疲れが出ていてあらゆる気力がないけど、初七日の法要を終えて銭湯に行ってきたら少し元気になった。普段この時間は必要な買い物を済ませてから銭湯に繰り出すのだけど、昨日のうちに買い物が済んでたのでそのまま行ったら開店前で、銭湯に並ぶという経験を生まれて初めてやってしまった。トロフィー獲得。帰りにかつやで晩御飯を買って帰った。1300kcalあるのでご飯減らしたけどあすけんの女には泣かれた。

家族が隣の部屋で電話をし出したので居間に逃げてきた。居間の隣では今まで故人が寝ていた。今は誰もいないので心置きなく家で1番大きなテレビを堪能できる。「小市民シリーズ」を2話続けて観た。1話目はすでに観ていたけどながら見だったので今回はちゃんと。とてもしっかりしている。今期最も楽しみにしているシリーズだ。推理すると景色の良い場所に飛ばされるシステムがウケる。


亡くなってちょうど1週間。実感が湧かないわけではない。年齢だから仕方ないが、やはりかなり苦労させられた。それがなくなったのだから今は身体が軽い。怒らないでいられる。そんな普通のことがとても嬉しい。

だけど、だからといって故人のことが嫌いだったわけではない。いつか死ぬとわかってはいたけど、それまでは元気に楽しく過ごしてほしいと思っていた。そしてそれは亡くなる1年くらい前までは実現できていたと思う。問題もあったけど許容範囲内だった。だけど最後の1年は正直とても大変だった。人生で1番しんどかった。

昨日、そんな故人が以前通っていた花屋さんに亡くなったことを報告した。ここ数年は母や僕が代わりに買っていたので覚えてないかと思ったが、ちゃんと覚えていてくれたし、車に乗っていたこともわかっていてくれた。お花をおまけしてくれたので供えた。

それから訪問看護の人が線香をあげてくれた。他にも高齢者がいるので仕事の合間にだけど、やはりとても驚いていた。元気そうに見えていたのだと思う。家族だってそう思っていたから当然だと思う。

他人の目を通して故人の話を聞いていると、ここ一年の苦労のことはどんどん忘れてしまう。弟に逐一LINEで愚痴っていたので記録は残っているけど、でも忘れていいことなのだろう。たった一年で思い出全てを汚す必要はない。僕も家族も今は回復の途中だ。

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