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備忘📝 新百姓001を通して水のように流れ続けたいと感じたこと

本当は忘れたくない
語りたいことが山ほどあるのに、
日々の暮らしで霞みゆく。

新百姓001について、備忘メモ。

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新百姓という雑誌
ご存知ですか?

一般社団法人新百姓が発行している

「システムに封じられた人間の創造性の解放を促す」という趣旨の雑誌です。

一言で言い換えるなら
「もうちょっと自分でものをつくったり、自分で判断したりして、生きられるんじゃないの?」
でしょうか。
これだとあやしい?


あわ研のあまのっちさん、
ゆうちょうさんがXで紹介されていた
のをきっかけに、猛烈に読みたくなり
入手ルートを探し続けていました。

年末、京都は恵文社さんにて成就。


2冊目となる001号は、
「水をのむ」がテーマ

探検家、文化人類学者、動物学者、インフラ研究・開発・起業家など様々な角度から「水をのむ」を語っています。


本当に面白過ぎて、

よかったところ紹介しようものなら全編
…最早、買って?!(何者?)

となるので、今回は一旦
いま時点で忘れたくない感覚を抜粋します。

これでもね、足りんのですよ。

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感覚①長期スパンでなにかチャレンジしたいな


グレートジャーニーで有名な関野吉晴さんの話から。
関野さんのゼミのことを紹介された本、
「カレーライスを一からつくる」

著書にも絡み
「自分で問いをたてる方が面白い」
というお話の流れで。

3ヶ月でやれって言われると
そつなくやるしかなくなる、
10年後に何かやればいい
というと失敗していいとなる。

と述べておられるのが刺さりました。


自分個人の話でいうと、
何かつくるとなると、早く完成させたい!
となってしまう。

それは仕事での資料作成も
家事で行うつくりおきも
趣味で行うものづくりも。


例えば、表現者集団のあわ研で
なにかを行うとしても、
2ヶ月〜6ヶ月かけて
というスパンしかまだ経験をしたことがない。

けれど、
「いつ出来上がるかわからないけど」
手を動かし続けるもの
って
どんなものが出来るのだろう?

完成図が全く浮かばないものを
つくる
、ということにも
チャレンジしてみたい。

例えばなんだろうと言われたら
わからないけれど、

映画かもしれないし
書籍づくりかもしれないし
お店づくりかもしれないし
起業かもしれない。

感覚②何かあったら助け合う関係をこっそりつくりたいな


「お金を使ったら、それで関係が切れる」
という文化の話も印象的でした。


エチオピア南部の少数民族では
貯蓄はしないが、何かあったら助け合う関係
があるらしい。

ベルモという関係で
1人に対して、3〜4人の
「何かあったらお互いに助け合う関係」
がいるのだそう。

例えば、
牛飼いが牛を死なせてしまったら
作物をあげる
作物が不足であれば牛の足を一本あげる
みたいな。

血の繋がりはなく
将来の安全保障を人との繋がりで持つ

ということ。

そこでお金を出してしまうと、
関係は終わってしまう。


そっくりそのまま
いまの暮らしに取り入れるのは難しくとも
目指していきたいな、と思った。

お金の交換でなく
「これなら任せて」で交換しあう関係性

感覚③常に新しい道を踏み続けよ


文化人類学者の中沢新一さんの
「水とお金は、流れ方が同じ」
というお話もよかった。

水は両義的な意味を持つ。

流れる方が生
止まった水には死の匂い

水の中は生と死の間

というお話。

ずっと同じではいられないし
淀みは現状維持ではなく腐敗を意味する。

既得権益がもつ腐の匂い。

転がる石には苔がつかないように
動き続けていないと
老けて動けなくなってしまう。

人に限らず、建物や自転車も
つかわれていない方が錆びることもある。

新しいことに常に挑戦されている方は
ずっと若い。

感覚④美味しい水を汲みにいきたいな/アナキズム的生き方を実践していきたいな



小型水循環システムを手がける
WOTA株式会社を創業し、
現在は株式会社AQUONIAの代表を
されている、北川力さん。

今回の能登半島の震災で
WOTAのシャワーテントで
何百人もがお風呂に入れたことで
話題になったのも記憶に新しい。


北川さんは、システムに頼らず個人が
それぞれの水の問題を解決できるツールと
知見を提供するモデルをつくろうとされている。

そもそも、水不足と言われる現場において
「そこにも水あるけれど?」と
気になっておられたそう。


確かに、水質が測れるようになってから
わたし達は基準値内の水しか飲まなくなり
水はペットボトルやサーバーで買わなければ
飲めないような暮らしになってしまっている。


少々汚れていても
井戸で飲んでいたではないか?

水をのむにも、システムの元でないと
動けないのは心許無くないか?


そんなメッセージから、無性に
かつてドライブした先の山で、
手で掬って飲んだ名もなき美味しい水が
急に飲みたくなった。

既存のルールを疑う
アナキズム的な挙動
というのを
日頃からできないのか、

思考をもう一つメタにして暮らせないのか。

そんなことを思った。

おかしいと思ったことを
声に出せる
思考停止せずに
自分だけでも変えていける



新百姓に俺はなる
と思ったのでした。

では、また。

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