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8アイヌネノアンアイヌ

田中先生の話

大学4年生の後期、穴埋めのようにとった単位で、
田中先生(北大文学部教授を退官後、わたしの通う大学に着任してらしたおじいちゃん先生)のクラスに出席していた。

半期をかけて数冊の本を読み、
それについて考察をするという緩いクラスは、
出席わずかでも単位がもらえると評判で、
私のほかには男子生徒が3人、
それもすぐに彼らは来なくなってしまい。
いつしか私と田中先生の「ふたりで雑談」タイムとなった。
おじいちゃんとおばさんはいろんな話をした。

あれは雪の降る日、暖かで小さな教室でのこと
ずっと忘れない話を田中先生にしてもらった。

田中先生は私の卒業後数年でお亡くなりになったと聞いているので
生きていたら97才くらいのはず
その先生が小学生高学年の時というので、
計算してみると85年くらい前の北海道、釧路での話。

田中先生のお父様はその町では数少ないお医者様だった。
ある猛吹雪の夜、ごうごうと渦巻く風の音の中、
遠くから馬そりのシャンシャンという音がだんだん近づいて聞こえてきて、

もう布団に入っていた先生は
「急病のアイヌの人がお父さんの診察を受けに来た」と思ったそうだ。

アイヌの人たちはとても良い薬(薬草など)を持っていて、
めったに医者に来ることはなかったけれど、
馬で1時間くらい離れたところに集落があって
急病人が出てどうしようもなくなった時に
お父さんの診療を受けたくて人目を避けた夜にやってくる。

でも、こんな猛吹雪の夜に来るなど
よほどのことだろう、と先生は考えた。

ここからはその先生の言葉で話を続ける。
******
それまでも何度かそういうことがあったけれど、
アイヌの人たちはいつも見たこともない服装で
見たことのない道具をもってくるものだから、
僕には珍しいものばかりでそれが見たくて見たくてねぇ。

でも見に行けば父に叱られるから
そっと部屋を抜けて診察室をのぞきにいったんだよ。
父は寝巻の上に丹前(当時の夜具)を着込んで、

診察室に運ばれてきた患者に聴診器を当てて、
おなかや背中を押して診ていたけど 
患者は口の周りに入れ墨を入れた小さなおばあちゃんで、
くるしそうで全く分からない言葉でうめいていたよ。
僕は口の入れ墨ってその時初めて見たから、あれには驚いたなぁ。

こんな時アイヌの人たちはお金がないからあれこれと「食べ物」を持ってくるんだ、僕はそれが楽しみでね~。
干した鮭なんか本当においしいんだ。
けれど父はその時「治したかどうかはわからない。薬を持たせるからこれで様子を見なさい」と、食べ物を受け取らなかったんだよ。
ぼくは「はしたない」と思ったけれど本当にがっかりしたよ。

でね。僕は治療を受けて薬を持ったアイヌの人が帰っていくところを部屋の窓から見ていたんだけど、

山田君(私ね💦)、信じられるかね、
外は真っ白で、道も何も見えないんだ。ただただ真っ白に吹雪いてどっちがどの方向かなんて見えないんだ。
なのに、馬とアイヌのお爺さんは何も心配がないように普通に帰っていった。
すぐに巻き上がる雪で姿が見えなくなって鈴の音だけが少しの間聞こえていた。
あれで1時間くらいかかる家まで帰れるんだからね。
道路なんてまともにない時代だよ。
アイヌの人たちは僕たちとは違う能力を持っていると父がいっていたことがあって。
僕は魔法使いか何かを思うようにアイヌの人たちのことを思っていたよ。
今思うと少しあこがれていたんだな。

後日そのおばあさんは助からなかったことを聞いたけれど、そのことを伝えに来た人がいて、お礼を渡すように言いつかったと、少しの食べものと織物かなぁ?を置いていったようだよ。

彼らはとても「律儀」で「高潔」なんだな。どうして日本人は彼らをあんなにも痛めつけたんだろうか?
僕はね、日本人は正直で高潔な彼らが怖かったんじゃないか?って思ったんだよね。

******

アイヌとは、人間という意味なので、
アイヌ民族って人間民族とかになるので、
それはおかしいんじゃないか?
と、いつも迷う。
でも、呼び捨てになっているように思われても不本意だし💦

アイヌネノアンアイヌとは
人間らしい人間という意味、
これは歌舞劇団モシリのアト゚イさん(文字変換にト゚がアイヌ語カナとでて、🙀しました。すごい!)の本で昔知ったこと。

先輩

私が小学生の時には同級生にアイヌ民族の子がクラスに一人が二人はいたのだけれど、それ(民族がちがうなどということ)は子どもにはわからないことで、
母親は「優しくしてあげなさい。」という感じのことを私にいうけれど、普通に友達だし、なぜわざわざそんなことを言われたのか
意味が分かったのは、ずいぶん経ってからだった。

差別したらだめだよという差別。そんな「遠巻き」な存在。
それが50年くらい前に子供であった私のアイヌの人たちとの距離感だ。

アイヌの人たちも札幌に住みながら、
仲間とのコミュニティを作って暮らしていたので、
私たちとは同じ土地に居ながら別々(の世界)に暮らしてたのだと思う。

このあたりのことが、道外の人や、道内でも若い人たちには
伝わらないニュアンスがあってもどかしい。

パッと見てアイヌの人だとわかる人もいれば、
言われても全く分からない人もいて、

そのうちにだんだん薄まっていくように
私が大人になるころには身の回りからアイヌの人たちがいなくなっていった。
アイヌの人たちのことは新聞の上でたまに見かけるくらいの存在になり、私も自然に忘れていった。

自営業を畳み、派遣会社に入った私は
派遣先のデパートで、指導係になってくれた先輩に出会った。
本当に目が大きくまつげが長くきれいな女性。
でもその先輩については、「恐い人」なので近づかないほうがいいというようなことを周囲が言ってくる。
私には全く意味が解らなかった。

彼女は確かにはっきりした性格で、はっきりとモノを言う気丈な人、
でも知れば知るほど優しい人で私はとても懐いてしまった。
周囲のおばさんたちは自分が「言われたくないこと」をはっきりと言う彼女が苦手だったのだ。

一緒に飲みに行くようになって10年近くもたってから
自分はあまり会ったことがないんだけど、おばあちゃんがアイヌ民族で、
1/4、アイヌ民族の血が入ってるという事を彼女は話した。

高校を出てデパートに就職したけれど、周囲からすごくいじめられた。
他のフロアから「アイヌ人がいるんだって?」といろんな人が見に来てた。

「負けない」って思ったけど、あれはつらかった。

まさよだって(私がアイヌ人の血が入っていることを)知っていたでしょ?
だれかが耳に入れたでしょ?
と言われたけれど、全く考えたことがなくて。耳に入ったこともなかった。

というか、アイヌ民族丸ごと私の意識から外れてしまってたのだと思う。

そこで改めて彼女の顔は木彫りのブローチにあるピリカメノコそのものであることに気が付いたし、
彼女独特の性格、
情が厚すぎるからこそ簡単に人を寄せ付けない誇り高さが、民族由来のものでもあるんだな~って、いろんな謎が解けたように思えた。

アイヌ民族と言っても、母親にその血があるというだけで
札幌圏で生まれ育った彼女は親族との付き合いもあまりなく
一般的に私たちが考える「アイヌ民族の暮らし」というのは一切していない。

でも一度だけ「お母さんの生まれについて」話をしてくれて
私はそれを聞いて、やっぱりアイヌ民族ってすごい。と思った事がある。
ここでは書かないので、聞きたかったらあった時にね。


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