10.この世界で「生きていること、死んでいること」
「この世界」とはどの世界?
「この世界」とは私がいま生きている「軸と層と場所」の交わっている空間であって、
あなたが私を認識できていて
ほとんどの「今の周辺」で一緒に存在するのなら
あなたとは長い時間共有している世界のことでもある。
層は有るような無いような薄い膜で
ぼんやりと仕切られていて
私は時折、膜がとても薄くなっているところや破れているところから
すごくよく似ている一枚向こうの世界へ行ったり
戻ってきたりしているようだ
自覚はないけど。
微妙にしか違いがないので気が付くことは稀である。
もちろん大幅に違う場所にも時折迷い込む。
「死」というものは、
この大幅な移動ではないだろうか?
この世界での「死」は、
移動先で「誕生」であったり
その人間なりの「変化」に同化するのではないか?
微細に散った「原子」はどこかで集まり交わりまた違う形を生きる。
そんなことをつらつらと考えている。と、
バカリ(バカリズム)さんがタイムリープを題材にしたドラマを作ってしまってびっくりした。
バカリさんがどこまで本気なのかはわからないけれど
タイムリープ先で「元の意識」がそのまま運営されているところを見ると
単純に「物語」なんだろうと思う。
私はここ最近の本気の結論だ。
考えが行きついた原因は「夢」にある。
夢の中の私
「どうして私はこれまで、この場所のことを忘れて生きて来られたのだろう?」
それは、生まれて育って忘れるはずもない場所なのに、なぜ記憶から消えてしまっていたのだろうか?という驚きだった。
立ちすくむわたしはまだ10歳くらいの女の子で
その私を囲むのは
強烈な皮の匂いと
壁にあるからっぽの棚たちと
奥までは光が届かない大きな窓。
ガラスはもうだいぶ汚れている。
とにかくもう帰ってきた。
ほっとする心と
この場所を忘れていたというありえない事実を
うっすらとした罪悪感として感じている。
窓の外の道路は石畳で
石たちはつるつると光っている。
私は急に小さく名前を呼ばれ(名前は憶えていない)
返事をし
棚を登り天井板を外して上へ上がる。
私を引っ張り上げたのは
栗色の髪をおさげにした「姉」だ。
私が出歩いたことを怒っている。
その姉は13~4歳に見える。
それを見ている私は
現在の私も入り混じっているためか。
現世はずっと長女なので
姉という存在を照れくさいほど喜んでいる。
そして姉の部屋へ入って遊んだ。
そこで「包まれるような安心」を私は味わっている。
胡蝶の夢
目が覚めた私は、
現在という「認識の世界」にさらされた驚きで
しばらく呆然としていた。
今のは何?
また眼を瞑れば「姉」に会えるだろうか?
皮の匂いを探し
そこへ戻れることをしばらく試みてみたけれど。
悔しいくらいはっきりと
薄皮をはがすように、
たった今の記憶なのに
みるみる去っていった。
対比して浮き上がるように
荘子の『胡蝶の夢』という有名な説話を思い出す。
あそこにいた私は何なのだろう。
確かに「私」である女の子
こっちの私はあの子の見ている夢なのか?
私と姉はなぜ屋根裏に隠れていたのだろうか。
しばらくの間、もうひとりの私を感じながら
この世界とその世界の渡り廊下のようなところで過ごしていた。
同時にその私をどこかに置いてきてしまったことを心もとなく感じながら。
それは私の前世の記憶と言われるものなのか?
単純に考えたらそれは当てはまるけれど
「どうして私はこれまで、あの場所のことを忘れて生きて来られたのだろう?」という思いはとにかく強烈なもので。
夢の中のその場所は私の人生の中で特別なものになった。
その夢を初めて見たのは多分私がバシャールを知った後だと思う。
そしてずいぶん間が空いてからもう一度、
私は夢の中で同じ場所を訪れ、またしても「ここは前にも来た場所!私が住んでいた場所!ここを忘れて生きてきたなんて!」と思ったのである。
単純に考えたら「前世」とか「転生」とか「魂の記憶」的なものと思えるけれど、
それは時間を横に年表の様に一列に並べて考えた場合とか、
魂というものが一個の個体と考えたときの話で、
現在のわたしはそういう考え方をしていない。
時間は縦に積まれている
年表や、時間の経過って横に(右に)連なっているので
時間の概念っていうのは右へ移動しているように思いがちだけれど
時間ってそうじゃなくて
縦に積まれているものだと考えてみれば
今立っている足の下にすべての時間が存在する。
と書いていたのはバシャールだったかもしれない。
なのでこれも自分の中ではずっと宿題な事項だった。
立ち位置は移動をしていないから
針を下に向けて刺せば
「違う時間」に触る。
一定の角度をつけて刺せば
網の目のような時空の中である場所に触るのだ。
時間のスリップはそんな風に移動して起きている。
横軸はその薄い層で
そこにそれぞれの自分は存在して
時折まじりあったり移動したり
3次元とは座標でいうと
縦×横×高さ(奥行)
4次元とは
3次元+時間ともいえるし
3次元+場ともいえるし
でもともかくこの世界では「測れない」もの。
測れないうえで、
そらかな曼荼羅を描いていると
頭に浮かぶことは
3次元を2つ
ある角度で組み合わせた世界。
そこが5次元
3次元を3つある角度で組み合わせた世界
そこが6次元
いいんだ。測れないのだし、
そもそもが不可知なんだから
どんな空想もそこに置くことができる。
映画インターステラーの5次元や
日本科学未来館の「9次元から来た男」(もう何度見たかわからない)(*1)
で、
網の目の様にあらわされるそれらの世界は
見えないだけで「在る」と考えている。
この間東大か京大の女性の先生が
3次元と言っても高さが私たちの目に認識できない数値、例えば1ナノメートルであった場合、
それは2次元に見えるのではないか?と話していて
すごく新鮮にこの世界が感じられた。
どんどんと規則的な角度で
黒い空間を埋めながら
そらかな曼荼羅を描いているときに
私は異次元を感じている。
この世界で死んで
重なった次元の、とある位置で生まれたとしても
記憶はそっくりすり替わるから
自分が次元移動したこともわからない。
*たまにわかっている人がいるらしい。
あるとき私が
自分の「生」に対する「対処」を変えたとしたら
それは、誰かの「魂」と重なったからかもしれない
重なって融合されて
それまでと違う人生を生きることになったからかもしれない
本人は気が付かないけど
こうして振り返ってみれば
一直線に変わらず自分が育ったわけではなく
それが
少なくとも「二つ生きている」と思う理由。
*1 日本未来科学館「9次元から来た男」予告編
https://www.youtube.com/watch?v=B4VNRkbB8RI
その公開に際しての大栗博司氏レクチャー「9次元からきた男とは何者か」も面白いのでよければぜひ
https://www.youtube.com/watch?v=KlQ50qwSdmo
マガジンTOPとタイトル案内はこちら
https://note.com/pirikarera/m/med189fca5bb8
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