現実が迫ってきていて寝れない今日も!

人間くさい人間好きとか言いながら自分に危害加えだしたら誰であろうといきなり手のひら返して正論で捌き出すのほんとにクソじゃん、

(自分も人間だ。)

以下、メモ


人間くさい人間が好きって言ってる自分のことが好きなんだろ。(これは言っとこうと思って言ったからあんま思ってない。)

もしくは人間くさい人間を愛せるような人間になりたかったただの人間か。

私は人間くさい=汚い とかそういう風に言いたいわけではない。それだけは否定しておかなければならない。

人間は心を持つ生き物なので、感情を持つ生物として世界に存在している以上、良くも悪くも大いにそれを享受した方がいいと思っている。いや、すべきだろ。誰だってもっと人間くさくあるべきだ。

だから私は感情をありのまま表に出す人間が大好きなんだけど、セーラームーンのうさぎちゃんとかはそれを体現していて、本当に好き。

そうなはずなのに。そうなはずなのに。

何が人間くさくて、何が人間くさくないのかお前は区別できているのか?
感情に素直に生きることが人間くさいと言うなら、感情を理性で必死に抑えつけて生きている人間は人間くさくないのか?

分からないことがいっぱいで、ずっと論拠の無限後退をしているから、結論にたどり着いたことはほとんどない。大抵、当たり前のことを確認するためにこんな難しい日々を生きているんだろうねってところに全部放り投げてそうだったー!ってオチやって寝る。

私は自分を機械化することに頑張る人間を受け入れることができない。
正直、気持ち悪いと思うしそんなやつ関わりたくない大っ嫌いだ。

(可哀想で寂しいやつ。なんて寂しそうなやつ。ぶっ壊れちゃえばいいのに。めちゃめちゃになれ。)

私はまた虚像に焦がれ、現実を知り、勝手に悲しくなっている。

感情ってなんなんだ。

小学校の国語の時間に黒板の前に立って先生は言った。
「この物語では情景描写に注意して読むことを覚えましょう。この場面なんかは主人公が悲しんでいると空がだんだん曇ってきているね、では、ここでの ー という一文から、主人公はどんな気持ちであることが分かるかな、わかった人、手あげてください!」

中3になるまで飲み込めなかった。

そして今は一旦はわけも分からず飲み込んだそれを吐き出してぐちゃぐちゃとこねくり回しては、また無理やり飲み込んで今度は自分が同じことを生徒に唱えている。お金のために。

私が泣けば世界が泣くのか?
私が笑えば世界も笑うのか?
私が怒れば世界も怒るのか?

そんなわけないだろ新海誠じゃないんだから。

だって私がああかなしい苦しいって思ってもあなたは少しもかなしくないし苦しくない。あなたはただ私の感情を飴玉みたいに口の中で転がしているだけだ。
感情は共約されないもの、当たり前でしょ?

あなたが泣いても空は泣かなかったし、あなたが怒るほど世界は能天気に見えて余計に腹立たしかった。恥ずかしくて消えてしまいたかった記憶の天気はいつも晴れで、思ったことを口にするのが我慢できなくて叱られた時の記憶なんか、夏の煌めいた太陽の光が、親の顔の険しさを一層際立たせていた。

筆者はいつも自己中だ。

世界に感情を強制する。

私はそうやって作られた物語に今日も引き込まれて世界が笑えば笑い、世界が泣けば泣いてきた。

私の感情は一体どこにあるんだろう。

て、か、世界に意味はあるの、か、、?(こういうことは考え出してはいけない)

世界に意味は無い。
君は何に賭けるの?私は何に賭けようかな、。

誰かが俺は俺の感情に責任を負わなければならないって言ってたから、私も私の感情に責任を持たないといけないって思って湧き上がる自分の中の感情の全てに責任を負おうとしたけど私の頭じゃ感情の目まぐるしいスピードについていけなかった。
SNSにおいて自分の感情が誰かの感情の副産物であることに気づいたはいいものの、何も思えなかった。感受性が少し足りなかった。

もうずっと頭の中がぐるぐるして、眠れない。

大好きな小説の映画版が別物だったのにそれはそれで良くて憎めなかった。

私は本当に、本当に諦めが悪い。何も諦めることができない。

いつか私が諦めることに諦めがついて、何も諦めることができずに苦しんでいる人を見つけたら、これは完全に私のエゴだけど、その人をいっぱい笑顔にしてあげたい。そしたら、幸せかも。

そのためには私が早めに順張りを身につけなきゃいけなくて、私のためにも。

「どんなに明るい方へ戻ろうと手を引いても気がつくと一緒に深い森の中に戻っている、抜け出す努力を放棄したまま大人になってしまったこの人と10年も20年も一緒にいるなんて冗談じゃないと、そんなふうに心のいちばん深いところでは思っていたのかもしれない。」

愛情を注ぐ相手がいるということに救われる日が私に来るのだろうか

「明るいが、実は暗い」ってやつと「暗いが、じつは実は明るい」って2人のヒロインがいたら、後者の方が人気になるの、なんで?
なんかで読んだけど、人間には隠したものを自分の本質と信じる傾向があるらしい。本質を隠す傾向ではなくて、隠したものを本質と信じる傾向。

こんなの言われたら自分の本質がどこにもないってことが前提なのかなみたいなヒス思考になるけど、ほんと自分の本質とかどこにもなくて、全部自分で全部本質なんじゃないかと思う。前はほんとの自分が分からなくて、これは私じゃないこれは違うあれも違うからってずっと理想の自分に出会えるまで終わらない苦しい旅をしてたんだけど、こう思うようになって前よりちょっとだけ自分の言動に責任感じるようになった。良くも悪くも。

自分に定義も意味もなくて当たり前なのに、定期的にそれが分からなくなるのなんでなんだろう。

20代が終わるまでは好きなこと好きなだけして好き放題して勝手に生きて何にも責任を負わないつもりでいる。私は私と同じような人に会うまで、訳の分からないことを言い続ける。

死にたいって言ってる奴みんな、死にたいんじゃなくて永遠に寝たいだけなんじゃないかと思ってる。すぐ強いだけの言葉使いたがるんだから。TikTokの見すぎ!!リールやショートの見すぎ!!

人を疑い信じず、期待しないことが賢いことだなんて、思わないで。

今はそういうものだと思って今日も沈んでいけばいいよ!

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