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【「航空学生」という選択①】

Neoです。
まず、昨日の初投稿の記事を読んでくださった方、ありがとうございました。
これからしばらくは、僕が戦闘機のパイロットになろうと決意し、どのようにして戦闘機操縦者になっていったのかについて書いていこうと思います。

1 「俺も戦闘機を操縦したい・・・。」

皆さんは「TOP GUN」という映画をご存知でしょうか?
結論から言いますと、僕は単純に映画「TOP GUN」を見て影響を受けました。
今年その続編となる「TOP GUN Maverick」が上映予定(コロナにより2020年12月に上映延期決定)です。今から実に34年前に上映された映画です。

当時、僕は中学生でした。
将来の夢などは特に無く、両親が豆腐屋を営んでおり、その豆腐屋を継ぐのもと小さい頃から親に言われて全く疑いもせず「豆腐屋を継ぐことが正しいこと」だと信じていました。
その映画を見るまでは。

映画館など僕の住んでいる田舎には無かったので、親友のO君がVHSビデオにダビングしてくれた「TOP GUN」を貸してくれたのがきっかけです。

若い時に思い描く「夢」というのは、今思うと「タイミング(きっかけ)」と「勢い」で決まってしまうものなのでしょうか?

映画の中で、自由に飛ぶ戦闘機の美しさに僕は完全に惚れました。
自分の心の中から湧き出てきた自発的な「夢」。
それが『自分も自由に戦闘機を操縦する仕事がしたい・・・。』という願望でした。

今でも、親友のO君(海外在住。大手企業で活躍中。)とは連絡をとっていますが、僕の人生に決定的なきっかけを作ってくれたことに今でも感謝しています。
その後も、僕の今までの人生において幾度となく痛感することなのですが、人との出会いは本当に大切。当時の僕のように人生を根本から変えてしまう力が「出会い」にはあると信じています。

2 パイロットになるにはどうしたらいいんだ?

さて、単純な思考で「戦闘機の操縦者になる。」と決めたものの、
・戦闘機は日本にあるのか?
・機種はどんなのがあるのかな?
・TOP GUNは海軍だけど、海上自衛隊にも戦闘機があるのかな?
とわからないことだらけ。
その当時、インターネットはあったのかもしれませんが、少なくとも僕の周りには存在しませんでした。何しろ携帯もまだ存在しないですし、パソコンも持ってる家庭など裕福な家庭にしか無かった。もちろん触ったことなどありませんでした。

ただ、この国で軍隊の役割をしているのが自衛隊であるとの認識はあったので、そこにコンタクトしてみようと思い、自衛隊地方連絡部(現在:自衛隊地方協力本部)に直電をして戦闘機のパイロットになりたい旨を伝えました。

当時の地連は募集を担当しており、私の連絡を受けて担当の陸上自衛官がすぐに必要な資料を持ってきてくれました。親には全く相談せずに連絡をとったので、豆腐屋の店先に自衛官が現れたのを両親が驚き、特に父親は怒り心頭で参りました。(当時は(今もですが)募集難で、街で暇を持て余していて体力がありそうな若い人に声をかけて勧誘する時代だったと聞いてます。ですから両親世代は自衛隊の勧誘をよく思っっていない風潮があったように記憶しています。)

持ってきていただいた進路に関する資料は

① 陸上自衛隊少年工科学校(中学卒業後に入隊可、現 陸上自衛隊高等工科学校)
② 航空生徒隊(中学卒業後に入隊可、現在廃止)
③ 航空学生(高校卒業後に入隊可)
④ 防衛大学校(同)

の4つの資料(漢字ばっかりで堅苦しい印象を受けました。)でした。

3 自分にとっての最適解はどれだ?

僕が地連の方に伝えたのは、
① 戦闘機のパイロットになれる進路はどれか?
② 若くしてパイロットとして活躍できるのはどれか?

の2点でした。
その観点から上記の4つの資料を提示してくれたのです。
特に勧められたのが①「陸上自衛隊少年工科学校」でした。

そもそも、それまでは「実家を継ぐのに高校進学も必要ないのでは?」と思っていたくらいなので「じゃあ、それで。」と考えていました。

しかし進路指導の際、親と当時中学の担任から強く『お願いだから、高校は出ておけ(※)!高校3年間でそれでも今の夢への情熱が変わらなかったら、その時に自衛隊の入隊に挑戦しろ!』と熱く指導を受け少年工科学校への進路は辞め、地元の普通高校に進学したのでした。

その助言と判断は、僕の進路形成には正しかったと思います。

のちに航空学生での同期には「少年工科学校卒」や「航空生徒卒」が数名います。彼らは素晴らしいです。でも、「高校生という多感な時期を自衛隊の柵の中で過ごすこと」や「目的とするパイロットになれる確率(つまりその後の進路である航空学生や防衛大学校への進学)」から考察すると僕にとっては普通高校に進学した方がその後の可能性を潰さないという観点で良かったと思っています。

進路を決める際に、特に若いうちは複数の選択肢からいずれかを選択しなければなりません。
それは選択した以外の選択肢を捨てるということと同じことです。
また、選択した事項が自分の可能性を限定化する場合もありますし、拡張してくれる場合もあります。
加えて、どの選択をしたとしても必ずメリット・デメリットが存在することを忘れてはいけません。メリットだけの選択肢は多分世の中には多くは存在しないと思っています。若い方はその点をご注意してください。

さて、高校生となった後も僕は、3年間引き続き同じ夢を想い続けました。
夢を実現させる進路はその時点で、「航空学生」、「防衛大学校」、「通常の大学進学(これは後で知りました。)」の3つに絞られました。
次回は、高校生活で行った準備などについてお伝えしたいと思います。

(※)決して中学卒の方を卑下しているものではありません。むしろご自身の努力と工夫でご自身の人生を生きておられる方々を多数知っておりますし尊敬します。当時の学歴への考え方から先生や親から助言、当時の僕が思っていたことをそのまま記載しております。当時はそれがいわゆる”普通”でしたのでそのまま記載させていただきます。

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