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【男(38歳)、人生初めてのバイト。接客カウンターで見た景色】

僕は、約20年間勤務した航空自衛隊を退職して、別の人生を歩むことに決めた。
民間航空会社でのパイロットだ。自衛隊を退職後、貯金を喰いつぶして民間への就職に必要な計器飛行証明を取得した。
夢を求めて歩んでいく姿は、颯爽と勇ましいものを感じることもあるが、それが計画通りにいかなければ現実問題として「お金の問題」が重くのしかかってくる。
僕の場合もそうだった。
退職金は、計器飛行証明取得と学校(A航空、大阪・八尾)での生活費に消えた。(仕方のないことだが、今思えば学校の金額設定は正直ボッタクリに近いと思う。)
卒業後、運よく民間の航空会社に拾ってもらえればいいのだが、航空業界は景気に大きく左右される。もう運でしかない。(今のコロナの状況だったらわかっていただけると思う。)
僕の場合は、環境のせいではなく自分の力不足ですぐには就職できなかった。

その間は辛かった。
資格は取ったものの、それを活かすチャンスを得られず、妻のご両親の家に居候だった。何か買うにも買わずに我慢するか、買うと決心がつくものは必ず割引値札がついたものしか買う気になれなかった。
「お金がないって、本当に精神的に追い詰められるんだなぁ。。。」
恥ずかしながら、38歳で無職になって初めて知った。
というのも、18歳で自衛隊に入隊。それまでの高校でもアルバイトは禁止の学校だった。
当時、子供が幼稚園の年中組。
このままでは、かなりマズい。実際、僕が航空会社に入社できたのは子供が小学校1年生の時で、給食費が払えるか真剣に悩んだ。
僕は航空会社への応募を続けながら、アルバイトの決意をした。

バイト先は、「ニッポンレンタカー」。
理由は、バイト情報誌の中でも時給が高かったから。
それと、外国人の接客要員を募集しており、基準となるTOEICの点数もクリアーしていたためだ。
仕事内容は「カウンターでの接客」が主の仕事だ。

今まで、カウンターでは接客される側しか経験がなかったが、カウンターの中から接客をする機会を得ることができた。

結論から言うと、自衛隊から直接民間の航空会社にいかず、アルバイトで民間の会社で「接客」という経験をさせていただいたことは僕の人生に大きなプラスだった。

僕の世間知らずなバカさ加減を披露するのは憚れるけど、その理由を書いておこうと思う。

1 もう階級章はないんだよ!

僕が退官した時の階級は3等空佐だった。さほど高い階級ではないが、一応「幹部」と言う官職だ。部下は持ったことはないが、指揮幕僚課程で指揮については学んだ。
そのようなバックボーンから民間の世界に来てもその「立場的な感覚」を抜くことが最初は難しかった。
僕とほぼ同時に入社した50歳代の方がおられた。その方はしっかりと定年退官された自衛官だった。階級は空曹長(定年で准尉に昇格)だったが、部隊では多くの部下がいて、自衛隊の仕事はできる方だったのだろう。
彼はアルバイトではなく、定年後の正式な雇用だった。
しかし、1週間ほどして彼は辞めてしまった。
確かに仕事内容は思っていたものとは違かったのかもしれないけど、最大の原因は「自衛隊の階級章をつけたまま、仕事に従事する態度」だった。
自衛隊で部下を持つまでになった空曹の仕事は、部隊ではかなり余裕のある仕事ばかりだ。部下に任せられるからだ。ところが、民間という新しい職場で新しいことを覚えるのに、年下(つまり今まで部下と同世代)の人から耳の痛いことをを指図されるわけだ。
階級章という「立場」をリセットできずに民間に行くとこうなる。
実際に、定年退官後自衛官(空曹)の再就職後における離職率は、結構高い。
恥ずかしながら、僕もアルバイトの分際で正社員と衝突があった。(何様だと思います(恥)。)支店長に助けていただきながら自分の考え方が民間では違うことを学んだ。
僕が就職したい航空会社に行く前に、この「階級章のリセット」の体験ができたことは大きな出来事だった。

2 「おもてなし」を欲する前に、もてなす側が「おもてなししたい!」と思われる客であれ

当時、2020年のオリンピックの開催地について東京への誘致の際、「おもてなし」の文化が過度に強調された。確かにこの文化は、日本人ならではの独特な文化だと思う。

でもこの精神が過度だなと思った出来事があった。
よく利用されるお客様には、東京などから営業でレンタカーを使用する方が多い。
その日のお客様もその一人だった。
カウンター前に来るなり、係りに2枚のカード(会社のクレジットカードとレンタカーのカードなど)をカウンターに「ポイッ」と投げて何も言わず携帯をいじってるビジネスマン。
ところが、どうゆうわけか予約ができていなかった様子。
そして、別の車も予約満車で用意がない状態だった。希望の車を用意ができない旨を伝えると
「なにぃ〜?俺は客だぞ!神様だぞ!なんとかしろ!」
と大声で怒鳴り始めた。
神様て。。。。今時、こんなこと言う?
支店長が対応にあたり結局治まったのだが、このことを通じて「カウンターの内側と外側では景色が違う。」と感じた。
当然、僕たちはアルバイトも含めてお客様のサービスをするのが任務だし、いわゆる「おもてなし」をする立場で、こと日本人はそのおもてなしを期待する。
しかし、カウンターの中にいるのはロボットじゃない。
人間だ。
サービスを受ける側が人として成熟していないのに、カウンターの中にいる人に過剰なおもてなしを要求するのは間違いだ。
こんなことは接客をしていなくても自分ではできていると思っているが、意識していないと「立場にあぐらをかいて」しまうのが僕だ。
今、機長という立場にいて、この愚かなお客様と似たような言動をとっているかもしれない。いつまでも、この事件は今後の自分への戒めとして心に残っている。

3 大物かどうかは、カウンターでの態度次第だ。

一方で、しばらくカウンターでの接客をしていると面白い傾向を見つけた。
僕はただ決められた接客をするのではなく、お金持ちや立場のある方の行動(言葉や行動)の共通点を見出すことにした。
理由は、その様な方達の立ち振る舞いを真似ることで、一歩でもこのアルバイト生活から脱出したかったからだ。
まず、歩き方や話し方は決して早口ではなく、こちらが聞き取りやすい速さであり、声量は心地よく、低音(男性)だった。
表情は穏やかさが表情に表れ、使う言葉は丁寧だ。
服装もラフではあるが、汚い感じではなく清潔感のあるラフな服装。
財布は長財布、お金の支払いはクレジットカードだが、カードを出す際も券面を見せ、カードの処理をしやすいように置いてくれる。
時間的にお忙しい方が多いと思うが、決して急がせない。むしろ、『いいよ。まだ間に合うから。』と気遣ってくれる。
僕はそうゆう感じの人には躊躇なく、「失礼ですが、社長さんか会長さんでしょうか?」と不躾な質問をするのだが、大抵当たっている。
先に述べた小物とは全く違うのだ。
このことから、カウンター(レンタカーだけではなく、コンビニでも)や接客していただいた後、自分の態度を見返すいい機会になった。

4 全力で提供しよう。ー怖いヤクザさんがくれたものー

レンタカーのカウンターには、時々怖いヤクザさんが車を借りにやってくる。
その日、運悪く(?)僕が担当することになった。というか、みんなサーっと逃げてカウンターには僕だけが残ったからだ。
僕は自衛隊時代に飛行教導隊という部隊にいた。その部隊はかなり強面の先輩が多数いた。そのような怖い先輩や大人数の前でブリーフィングをする場合、コツがある。丹田(下っ腹)に力をいれ、「自分はできる。」と念じるのだ。そして、丹田の力を緩めずに話すのだ。
もし、大人数の前で話すのが苦手ん人がいたら試してみて欲しい。
怖いヤクザさんへの接客はどことなく気合が込められて接客ができたと思う。
搭乗前の説明でもETCの説明やオーディオの説明を助手席に座り、その方と取り巻きに囲まれながら説明をした。この緊張感、わかっていただけるだろうか?
「お兄さんは、アルバイト?年取ってるみたいだけど、どうしたの?」と運転席の親分からご質問。
僕「実は自衛官だったのですが、パイロットへの転職のため就活中でこちらにお世話になっております!」
親分「おぉ、そうか。歳くってて大変だろうけど、頑張れよ!気持ちいい車の説明だった。なぁ?」
子分「押忍!」
その後、車は発車して無事に接客を終えた。
誠意は通じる。
ただ、今回は怖いお客様だからかもしれない。この件を通じて、怖いお客様にだけ全力対応するのではなく、全ての関わり合ったお客様に平等に誠意を尽くすことが僕に求められていることだと理解することができた。
加えて、残念ながらこの時一切の応援を受けることができず、僕一人で対応だった。考えてみれば当然かもしれない。ヤクザさんですから。
でも、お客様の矢面に立っている人から援護もせず、また後ろから仲間を撃ってしまう(友軍相撃)ことの怖さを知った。
僕はコックピットに入れば、コックピットドアが閉められ、客室乗務員のみがお客様の矢面に立つことになる。
その際、安全阻害事項をお客様がおられても、基本的に僕たちは何も客室乗務員たちに加勢することはできない。
そのような状況だけではなく、お客様と対峙している仲間を窮地に陥れないようにしなければならないと本件からも学ぶことができた。

以上であるが、今頃気づくの遅すぎで恥ずかしのですが、僕がアルバイトで見て学んだ景色でした。

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