【おっさんの戯言】失敗50%配合
『私…失敗しかしないんで…』
私は何かはじめる時、大なれ小なれはあるが、必ずといっていいほど、失敗をかます。
自分としてはそれなりに計画し、細部を検討して、事に当たっているつもりではいるが、必ずなにか抜けてしまうのである。
『ネガティブに準備し、ポジティブに実行する』
ってのを昔から行動指針としてはいたが、どうもネガティブさが、足りていないようだ。
近年は特にその傾向が強く出てきている。
気をつけてはいるのだが…
但し、いざ実行の段では、ほんとポジティブに振り切って行動するので、準備不足やミス、想定外のアクシデントに対するリカバリーには強いほうだと思っている。ピンチの時はだいたいノリと勢いに任せた力技で帳尻を合わせてきた。
また、結果良ければ全て良しという考えが強く、失敗に対してあまりココロを留めておけない性格でもある。失敗なんてあって当たり前。何事もなかったらラッキー。などと思うことすらもある。
そんな調子なので、過去の失敗を思い返そうとしても、特筆できるような失敗談が思い浮かんでこない。失敗があり過ぎて、逆に印象深い失敗というやつが浮かんでこないのだった…
そんな折、旧友とのやり取りの中で、私の過去の失敗談が話題にあがり、完全に忘れていた過去の失敗を思い出させられた。
20年以上前の話。
私が初めて就職した会社は横浜に本社を置く会社で、初の社会人生活は地元新潟から離れた不慣れな地、横浜で始まった。初めての仕事、初めての人達、初めての街、初めて揃いで不安も大きかった。
彼女とも学生時代の友人とも遠く離れ、一人心細かった。
そこに上手くつけ込まれ、当時流行っていた二束三文の絵画に福利厚生サービスの付加価値を付けて高額で販売する、グレーな商法にひっかかった。
絵画は将来人気が出たら価値があがる。
福利厚生サービスを使うと半額以下で買い物できる。
担当者がまるで友人のように都会での生活をエンジョイできるようエスコートしてくれる。
と言うような事をまくし立てられて、また会話で気分を上げられ、最後は好奇心に勝てずに、契約を交わしてしまったのだった。
担当者と別れて数時間後、私は我に返ったが、時すでに遅し、クーリングオフも効かない状態で、契約を交わすということの重さを知ったのだった。
まだ初ボーナスも貰わぬうちに、私は100万円を超える額のローンを組んでしまった。そしてその後、残ったのは、毎月3万円ほどの支払いと、上とも下とも判断つかない変なリトグラフのみであった…
その後その担当者と連絡を取ることもなく、福利厚生サービスに至っては全く使い物にならない内容のものだった。それから数年、私は悔しい思いを抱えたまま、ただただ毎月の支払いをしたのだった。
これは本当に大失敗であった。
この失敗より学び、このような契約に関する失敗は二度と起こさなくなった…
というわけでもなく、その後も2度3度と似たようなケースで失敗している。
性懲りもなく。
私は、これらの失敗からは学びを得られなかったのだろう…
この過去の失敗を今回考察してみて、ひとつ気付いた事があった。
人の生き死にに関わらない程度の失敗なんてものは、後々笑い話でしかなくなってしまうもの。下手したら記憶の片隅にも残らない出来事なのだ。そんな取るに足らないものを気に掛けて、歩みを、前進を止めることのほうが何倍もリスクがあることではないかと思う。
私が恐れているのは、失敗ではなく、失敗するかもしれないというリスクを回避する為といって、目の前にあるチャンスや、前進しようとする未来を自ら断ち切る行為を選ぶことのほうなのだ。
そんな私はこの先の人生も失敗し続けるだろう。
失敗するもしないも五分五分。しなきゃラッキー。
なんて考えで生きてる私の半分は失敗で出来ている。
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