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献身

10月1日、最高位戦のD1リーグが同団体のYouTubeチャンネルにて配信された。そこには普段実況として活躍する佐伯菜子の姿があった。

SNS上で繋がってはいたものの、彼女の麻雀を観るのは初めてだった。どんな麻雀を打つのかという興味で見始めたが、時間が経過するに連れ、私の関心は別の場所へと移っていた。

カメラに抜かれた時の表情、1つ1つの摸打。全神経を集中させ、最善の選択を模索する。それ自体は全ての選手がやっている事ではある。ただ彼女には、「一生懸命」さをダイレクトに観る者の心に響かせる特異な能力があると感じたのだ。

いっしょうけんめいがんばる。まるで小学生の作文のような陳腐でありふれた表現が彼女にはぴったりだ。私が長年応援している魚谷侑未が「諦めない」の代名詞的存在だとすれば、佐伯菜子は「一生懸命」の代名詞になりうる。これらは訓練して手に入れられる種類のモノでは無い。その人物の核となる部分から放たれるオーラと言い換えても良いかもしれない。

この日半荘4回戦を打ち終えた後、インタビューで彼女が語ったのは観てくれた人、応援してくれた人達への感謝、下位リーグにいる人間にも配信対局の機会を与えてくれた団体への感謝だった。

対局の合間のハーフタイムショー。そこで彼女への一問一答が流されていた。座右の銘を問われた際の答えは「献身」。

そう、佐伯菜子は全てに対して献身的なのだ。麻雀に尽くし、ファンに尽くし、団体に尽くし、お世話になっている先輩や仲間達に尽くす。

SNS1つとってもそれが伝わる。応援の声に出来る限り返信やいいねで応え、日頃常勤として働いているお店の先輩が放送対局に出ると分かればそれを拡散し、少しでも多くの恩を返そうとする。有り難いという気持ちを心の中だけで留める事無く、それを行動に移す。利己主義という人間の根底にある保守性から乖離する様に、利他的なのだ。

更に彼女を見ていると、コミュニケーションの本質というモノが想起される。コミュニケーションとは言葉を伝える事ではなく、想いを届ける事なのだと。相手の心に届く言葉、表情、行動で敬意、愛情、感謝を伝える。だからこそ彼女の元には惜しみなくその人柄に対する賞賛が集まるのだろう。

私は元来、麻雀プロに対する評価は麻雀で下されて欲しいと考える古典的な競技麻雀ファンだ。実力や実績よりも麗しい容姿や洒脱なユーモア、抜群の歌唱力等といった付加価値が重視され、人気投票の様な形で注目度の高い対局の出演者が決まる事態に決して小さくはない不満を抱いている。麻雀界の発展の為には裾野を広げる必要がある故仕方のない事だと言い聞かせながらプロ麻雀ファンを続けている。しかしそんな私が彼女の持つ人間力に魅了されてしまうのだ。


昨日、彼女と初対面を果たした。実物は思っていたよりもとても小柄だった。この小さな身体にあれほどのエネルギーが凝縮されているのかと感嘆した。正対した際に強く感じたのは自然体である事、畏れを抱かず、赦し、相手を包み込むおおらかさだ。勿論彼女とて人や物事への好き嫌いはあるだろうが、自分には正義があるなどといった傲慢さは微塵も無く、人それぞれの価値観を尊重し、あらゆる争いを好まない人である事が会話をすると自然に伝わってくるのだ。平和の象徴が鳩から佐伯菜子に変わる日もそう遠くは無いだろう。

店内に居る際、私は彼女が他のお客さんとどの様に接するかに注目していた。会いに来てくれた人達に分け隔てなく時間を費やし、初めて会うという方からとても応援していると伝えられると、その喜びをありのまま表現し、今後の目標と意気込みを語っていた。このホスピタリティ、前向きさや率直な感情表現は応援する側の幸福度に直結する極めて重要なモノだ。

プロ麻雀界の特異性は選手とファンの距離の近さにある。他業界のファンが麻雀界に飛び込んで来た際に最も衝撃を受ける部分だ。数百円で「推し」と小一時間ゲームを楽しむ事が出来、SNSでフォローもしてもらえる。それ故に、応援する事を喜んでもらえているという実感が無ければ、上を目指して頑張ろうとする姿勢が感じ取れなければ、それを与えてくれる別の人の下へと去っていく。幸せな未来が想像出来なくなるからだ。しかし彼女はそういったモノからは無縁であるように思える。注がれる愛情に全力で応えようと献身し続けてくれる期待感がある。


2時間程で退店する予定を1時間延長した後、店を後にしようとすると、エレベーターの前まで見送りに来てくれた。その時彼女は私の抱えているプロ麻雀ファンとしての迷いや葛藤を全て見透かしたかのような優しい言葉を掛けてくれた。酔いが回り、働かなくなった頭で懸命に言葉を紡ぎ、励まそうとしてくれた。


その姿はまるで天使のようだった。


もしも「推す」という行為が、他者に人や物を薦める事であるならば、私は佐伯菜子プロを強く推したいと思う。きっと彼女より強い麻雀プロも美しい女流プロも山ほどいるだろう。しかし、直向きに頑張っている人を応援したい、優しさや誠実さを持った人を応援したいという麻雀ファンには彼女はうってつけの人物だ。

何もいきなり1番の推しにしてほしいなどとは思わない。私自身にも魚谷侑未と梶田琴理という重要な二人の選手がいる。だから最初は気に掛けてくれるだけでも構わない。しかし、いざ応援するようになれば自ずと彼女が極めて幸福度の高い「推し」であることに気が付く事になるだろう。だからこそより多くの人に注目して欲しいと切に願う。


佐伯菜子の献身に。

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