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私のハープスター

シンデレラは継母と義理姉達に虐げられ、毎晩台所で灰にうずくまりながら、眠りにつく。


「最低位」。

最高位戦日本プロ麻雀協会のヒエラルキー最下層、D3リーグの最下位になった者に贈られるこの団体に所属する人間にとって最も不名誉な称号。それが彼女のスタート地点であり、私が梶田琴理という麻雀プロを知ったきっかけだった。

フォローはしていなかったが、Twitterを覗いてみた。宣材写真で初めて顔を知る。綺麗な人だった。でもそれ以上に、優しそうな人だなと思った。


その頃私はプロ麻雀ファンとして1つの転換期を迎えていた。魚谷侑未のファンとして2009年から長い時間を過ごして来た。その間に何者でもなかった彼女は数々のタイトルを獲得し、麻雀界を代表するスタープレイヤーとなってくれた。そしてどんなに有名になっても変わらずにファンを大切にしてくれていた。彼女は私のファンとしての望みを全て叶えてくれた奇跡の様な存在だった。しかしそれ故に、もうこれ以上の事を望むのは酷だと考えるようになっていた。そして私は新たな夢を探し始めた。


まず候補となる若手選手を複数人リストアップした。1人目はシンデレラリーグに出場していたとても小柄で眼鏡の似合う人だった。ひと目見た瞬間にこの人はいずれスターになると直感した。後に赤坂ドリブンズから指名を受け、文字通りシンデレラガールとなる人だった。

2人目は最高位戦の新人王となった人だった。相手に圧力を掛けながらの高くて遠い仕掛け、手形に溺れない繊細な場況判断、勝負所での豪胆な押しっぷり。どれも新人離れしており、大きな才能を感じた。そしてニックネームが魚谷侑未と酷似していた。

3人目はプロ協会の関西支部で頭角を表していた選手だった。残念ながら麻雀を観られる機会は無かったが、業界内での高い評価が聴こえて来ていた。その後彼女は関西雀王を獲得し、現在は東京で活動している。

皆、魅力的な選手だった。しかし、1つ大きな問題があった。魅力は感じたが、魚谷侑未を見つけた時の様な運命を感じなかったのだ。私は答えを保留としたまま、運命の人との出会いを待ち続けた。


その時、梶田琴理は私の頭の片隅にいる「ちょっと気になる若手プロ」の1人に過ぎなかった。華のある人だとは思っていた。彼女の書く文章にも強く惹かれるものがあった。しかし、1つ大きく欠けている物があった。

それは他でもない「雀力」だった。

麻雀ウォッチで放送された「梶田琴理鳳凰卓への道」という番組で彼女の麻雀を初めて観た。トッププロの麻雀に目が慣れ、鳳凰卓で凡そ5000戦の経験があった私にはとても拙い内容に映った。最低位になるのも納得だった。口さがなく言えば、下手糞だったのだ。その後、自身のYou Tubeチャンネルで特上卓を打つ配信のアーカイブも観た。まだ下手だった。そこで私は一度彼女への関心が大きく薄れてしまった。麻雀プロに対する評価は麻雀で下す。それが私のポリシーだった。


それからしばらく経ち、スリアロチャンネルで放送されていたシンデレラリーグを観ると、そこに彼女の姿があった。あの下手糞だった人はどうなったのだろうという懐疑的な目で観ていた。ただ、そこで私はあることに気付く。


「あれ?上手くなってる…」


目を覆うばかりの酷い麻雀を打っていた彼女の姿はもうそこには無かった。麻雀プロの努力は打牌やその選択に表れる。戦術書を読んでいる、勉強会に参加しているといくらアピールしようとも、麻雀を見ればその人が本当に頑張っているかどうかは分かってしまう。

そうか、この人は強くなる為にちゃんと努力出来る人なんだ。私の中で梶田琴理への認識が改められた。

ただそれだけではまだ足りなかった。彼女自身の言葉を借りるならば「壊滅的にド下手だった」状態から抜け出したに過ぎなかった。しかしそこから彼女の動向をより注意深く見るようになった。

元々「pipppi」というアカウント名で天鳳をプレーし、五段と六段の間を行き来している事は認識していた。そんな彼女がある日「ミスタードーナツ」という新たなアカウントで鳳凰卓を目指している事を知る。のどっちという天鳳の成績が閲覧出来るサイトでその進捗状況を定期的にチェックした。六段には到達したものの、七段まで後数百ポイントという所で右往左往していた。ずっと鳳凰卓に届かない自分に嫌気が差したのか、彼女はTwitterのアイコンを「六段」という二文字の画像に変えていた。

弱い自分を、プロを名乗りながら鳳凰卓に足を踏み入れられない事を、この人は恥じている。その美しい容姿や立ち回りの上手さでこの世界を渡って行こうなどとは思っていない。麻雀が強くなりたい。プロを名乗るに相応しい打ち手にならなければいけない。彼女の競技者としての矜持を感じ取った。

しかし、その想いとは裏腹に彼女はずっとずっと六段坂で停滞し続けていた。のどっちで成績を見ながら「これじゃ永世六段だな…」などと思っていた。すると突然、天啓を受けた様に、ある言葉が私の頭に降って来る。


「梶田琴理永世六段」


何だか語呂が良いな、熟語みたいだな。最初はそんな風に思っていた。しかしそこから一週間経っても、半月経ってもその言葉が頭にこびり付いて離れなくなった。そして私はハッと気付く。


そうか、この人なんだ


魚谷侑未に叶えて貰った沢山の夢。その後を継ぐ新たな光。最高位戦の最低位という殿から麻雀界を大外一気で駆け抜ける私のハープスター。


そこからの行動は速かった。天鳳で梶田琴理永世六段というアカウントを作り、Twitterで永世六段を名乗り始めた。


早く七段になって欲しかった。持って生まれた華がある。競技者としての矜持もある。強くなるための努力も出来る。この人はこの世界でスターになるべき人だ。彼女の背中を押したい。ハートに火を点けたい。決して埋もれさせてはいけない。その思いが私を突き動かした。

正体不明の人物に永世六段などと揶揄されたにも関わらず、彼女はとても優しく接してくれた。きっと半分は好奇心だっただろう。それでも私は彼女に対する第一印象、直感を信じる事にした。ポテンシャルは重要だが、麻雀プロを応援する上でパーソナリティはそれに劣らぬほど重要だ。やはり、この人で間違い無い。

そして程なく、彼女はそれまでの停滞が嘘だったかの様にあっさりと七段への昇段を果たした。自分が彼女に幸運を運んで来たのではないかと勘違いする程の速さだった。これを機に一皮剥けて欲しい。競技プロとしての停滞を打破してくれる事を期待していた。

しかし、現実は厳しかった。入会以来、リーグ戦で一度たりとも昇級する事が出来ず、D3リーグ、女流Cリーグという最下層に滞在し続けていた。紛れもなく彼女は競技プロとして「底辺」だった。

リーグ戦が行われていたある日の事だ。スマートフォンに彼女のツイートの通知が来た。冒頭部分だけが見えていたが、私は嫌な予感がした。天鳳をプレー中だったが、急いでそのツイートを確認した。


私は、ただただ悲しかった。涙が溢れてしまった。自分の技術や知識が足りない事を棚に上げるつもりなど毛頭ない。それでももう少し運があっても良いんじゃないか。そう思ってしまうのは無理もない事だった。彼女は最高位戦に入会後、リーグ戦で最初のトップを獲得するのに32戦を要したのだ。もう一度言う。32戦だ。勿論麻雀が確率のゲームである以上、こういった事は誰の身にも起こり得る。しかし、当時の麻雀が拙いモノであったとしても、この数字は余りにも無情だ。その後も含め、ここまでの競技生活で彼女は運に見放され続けて来たのだ。

麻雀プロとして生きて行くという事は、確率と言う名の理不尽と向き合い続ける事だ。過去の栄光は未来の幸運を約束するものではなく、過去の理不尽もまた未来の幸運を約束などしてくれない。それは分かっている。それでも私は決して彼女に届くことの無い言葉を心の中で繰り返した。


ぴっぴ大丈夫だよ、大丈夫だよ。


私は彼女が参加する勉強会の配信も全て観ていた。直接彼女に会った時、天鳳を打ち終えた後、信頼出来る人に牌譜を見て貰って反省している事、配信はされていないが他の勉強会にも参加している事、より実戦の中に身を置く為に働くお店を変えた事も聞いていた。全ては強くなる為、結果を出す為だった。不運に見舞われながらも強くなろうと藻掻いているのを知っていたのだ。

だが努力は必ず報われるなどと言うことは出来ない。プロ麻雀の世界において、その言葉は詭弁となる。どんな才能も、どれほどの努力も圧倒的な運量の前には無力だ。だからせめて、頑張ってるの知ってるよと本当は彼女に伝えたかった。

それからというもの、リーグ戦を迎える度に、私の心は落ち着かなくなっていた。仕事の合間にTwitterを開き、最高位戦の速報をチェックする。もうぴっぴが心配で仕方が無い。出来る事ならば勝って欲しい。でも私はそれ以上にある一つのことを願うのだった。


彼女が自分の競技人生に絶望するような深い悲しみにだけは決して出会いませんように。


私は長い間女流プロのトップランナーである魚谷侑未を応援してきた。だから応援するプロが勝つ事に慣れてしまっていた。勝つ事よりも大きく負けない事を願う日が来るなどとは思ってもみなかった。私はただただ彼女が次の対局を前向きな気持ちで迎えられる成績で終える事だけを願っていた。

心配が尽きない中、昨年6月、彼女に大きなチャンスが回ってきた。それまでスリアロチャンネルで放送されていたシンデレラリーグがリニューアルされ、ラスを引いた者が即脱落というルールのシンデレラファイトという大会が開催される事になった。

本番に向けてのPRを行う彼女の言葉の端々から、この大会に懸ける並々ならぬ思いが伝わってきた。シンデレラファイトはタイトルを持っていない若手女流プロの為の大会だ。Mリーグでも無ければ、女流最高位決定戦でも、プロクイーン決勝でも無い。それでも彼女にとってはキャリアを切り拓く為の貴重な配信対局のチャンスなのだ。

初戦、2戦目と連続してトップを獲得し、順調に勝ち進んだ。しかし、次に迎えるのは彼女が不慣れな三人麻雀での対局だった。その日に向け、寸暇を惜しんで練習に励んでいる様子が見て取れた。その成果もあってか、本番でもとても落ち着いた様子で打てており、東場で大きなリードを獲得していた。

ところが南場に入り、事態は急転する。ラス目からの立直が入っている状況で、彼女にも聴牌が入る。立直者の河には序盤にニ筒が切れていた。聴牌を維持する為、彼女は通っていない一筒を勝負した。

「ロン」

痛恨の放銃。確かに通りそうに見える牌ではあった。しかし、点棒状況を考えれば子の立直にリスクを負う場面では無かった。重要だったのは自身が和了る事ではなく、安全に局消化する事だった。

彼女の表情に小さな動揺が滲む。慌てる必要は無い。まだ、大きなリードがある。そう言い聞かせている様だった。

だが、そこから彼女は転がり落ちるように2人の選手に捲られ、大トップ目からまさかの敗退となった。

対局後、インタビューに答える彼女の表情は虚ろだった。あの一筒さえ打たなければ。何故甘えてしまったんだろう。どうして楽になろうとしてしまったんだろう。呆然としながら頭の中を巻き戻している様だった。そして彼女の目に光る物が映し出される。それを見た途端、私はそれまで堰き止めていたモノが決壊した。


悔しくて、悔しくて、悔しくて、悔しくて溢れる物を抑える事が出来なかった。拭っても拭っても一向に止める事が出来なかった。

そして気付く。自分はこんなにも彼女の勝利を望んでいたのだと。

茫然自失の状態から立ち直り、Twitterを見てみると、驚きのニュースが流れていた。敗者復活投票が行われる事が主催者から発表されていたのだ。

いつまでも悲嘆に暮れている場合では無い。私は直ちに気持ちを切り替えた。ぴっぴファンの方々に投票を呼び掛ける。繋がりのある天鳳民の方に投票をお願いする。そして誤字やハッシュタグの付け忘れをしている方に再投票をお願いするリプライを送る為、私のパトロールは深夜にまで及んだ。

私はただ必死だった。こんな所で負けさせてたまるか。彼女はこの大会に懸けているんだ。自分に出来る事などたかが知れている。それでも彼女を闘いの舞台に戻す為、自分に出来る事は全てやる。

開票当日、固唾を呑んでその時を待った。事前に出ていた情報からすればおそらく大丈夫だろうという感触はあった。しかし、誰かが大きな組織票を持っている可能性は否定出来ない。一抹の不安を抱えながら発表を迎えた。


2位以下に100票以上の差を付け、彼女はこの戦いに勝利した。私はとても嬉しかった。単に彼女が勝ったからでは無い。梶田琴理の麻雀を観たいと思ってくれる人がこんなにも沢山いる事が何よりも嬉しかったのだ。

そして闘いの舞台に戻った彼女は敗者復活戦を勝ち上がり、その日の夜、自身のYou Tubeチャンネルである「ぴぴちゃんねる」の生配信で勝利の報告を行った。

コメント欄も彼女自身もとても幸せそうだった。勝負の世界に生きる人間にとって、勝利以上のファンサービスは無い。これまでリーグ戦で辛酸を嘗め続け、ずっと良い報告をする事が出来なかった。やっとそれが出来るかもしれない。配信のエンディングで、準決勝への意気込みを語った後、躊躇いながら、しかし確実に彼女は「応援して下さい」と言った。

何気無い一言だ。ありふれた言葉だ。ただ彼女はその言葉をこれまで口にする事が出来なかった。何一つ結果を出せていない自分に応援して欲しいなどと言う権利があるのか?応援して貰った所で結果で応える自信が無い。だからこれまでずっと応援して下さいの代わりに「見守って下さい」という言葉を選んでいた。

それでも彼女はこの時、初めて勇気を出して「応援して下さい」と言った。


こんなにも多くの人に期待され、喜んで欲しいと思ったのは、これが初めてだったから。


どうしても結果で応えたかった。ただ、現実は残酷だった。彼女は準決勝で敗れ去り、ガラスの靴を履けぬまま、ただの「灰かぶり」となった。そしてインタビューでファンに向けての一言を求められると、その言葉は「見守って下さい」に戻っていた。

また、私は期待に応えられなかった。多くの先輩方に時間を割いて教えて頂いているのに。沢山の人に応援して貰ったのに。情けない、不甲斐無い、申し訳無い。

そんな風に自分を責めているのではないかと思うと、私は胸が張り裂けそうだった。

こうして彼女の、そして私のシンデレラファイトは幕を閉じた。


      



あれから1年が経った。

間もなく彼女は2度目のシンデレラファイトに臨もうとしている。この1年の間に女流リーグで競技人生初の昇級を果たした。しかし、彼女の現状はD3リーグ、そして女流Bリーグだ。決して順調なプロ生活とは言えないかもしれない。まだまだ自分に自信を持つ事は出来ていないだろう。

それでも、近頃の彼女はとても前向きだ。暫く開店休業状態だった天鳳を再開し、最初に使っていたアカウントで七段へと昇段した。SNSでも積極的にファンと交流し、元々持っていた感謝の気持ちを形にして表す事も出来る様になった。1年前とは違い、今の彼女には気負いも悲壮感も無い。

元々私は大ファンだけれど、間違い無く今のぴっぴが一番好きだ。

だから今私は彼女に伝えたい。



ぴっぴ 「応援して下さい」って言って良いんだよ。

ずっと結果が出なくて、モチベーションが下がってしまった時もあったかもしれない。その事が後ろめたくて、とても言い難いかもしれない。あなたは心根のとても優しい人だから、いつも有り難いよりも申し訳ないが先立ってしまう。でも今はもう一度前を向いて、頑張ってるんだから。

ファンは何も結果だけを見てるわけじゃない。麻雀の質と取り組む姿勢を見ているんだ。人間性を見ているんだ。だから大切なのは、胸を張って応援して下さいって言える自分であること、ベストを尽くすことなんだ。

例えガラスの靴を履く事が出来ずに裸足のまま帰って来たとしても、今自分に出来る精一杯を見せてくれればそれで良い。いくら応援しても勝てないからもう応援しないなんて言ったりしない。

だから、何も畏れなくて良い。ぴっぴに出来る事は、落ち着いて、これまで自分が培ってきたものを信じて、決して勝ちを欲しがらず、最善と思う選択を繰り返す事だけ。


琴を奏でる様に、理を積み重ねれば良い。

大丈夫、ぴっぴなら出来るよ。


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