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私はあまり多くの愛を持たない

「推し」という言葉がある。元々はアイドル界隈で使われていたモノだと認識している。現在ではあらゆる世界で用いられ、麻雀界も例外では無い。

この文章を読んでくれている方の多くは私が魚谷侑未と梶田琴理、通称ぴっぴのファンであることを認識してくれていると思う。

近頃ぴっぴを応援するファン仲間の方から他のプロも一緒に応援しようと何度も提案される。その選手は彼女と同じく最高位戦日本プロ麻雀協会に所属している二十代前半の若手女流プロだ。プロ1年目から放送対局の実況を任され、東海地区の選手でありながら、都内の雀荘や麻雀バーからのゲストのオファーも多数来る期待の新星。

その人はとても美しく、何よりも華がある。ゲスト先に遊びに行った話を聞く限り、話も上手く、サービス精神も旺盛。麻雀に対する姿勢もとても真摯な様だ。推したくなる気持ちはとてもよく分かる。


しかし、私は気乗りしないのだ。

推しは多ければ多い程楽しい、という意見が有ることは知っている。実際にその通りなのかもしれない。応援する選手が増えれば、その中の誰かがタイトルを取るかもしれない。放送対局に出てくるかもしれない。スケジュールが合致し、所謂「追っかけ」と呼ばれる行為もしやすくなるだろう。楽しみがどんどん増える。だから沢山の人を応援する行為を否定するつもりは毛頭ない。ただシンプルに、自分には合わないのだ。


私にとって応援するという事は、その人の努力を把握し、勇気やモチベーションを与える事。目先の結果に囚われず、提供してくれる麻雀の質や麻雀への姿勢をしっかりと見る事。そしてその人の気持ちに寄り添うことなのだ。

「推し」が増えれば増える程、それらは分散してしまう。誰かの努力を見逃す事になる。誰かの気持ちに寄り添う事が出来なくなってしまう。麻雀プロとして生きていくという事は決して楽しい事や嬉しい事ばかりでは無いだろう。辛い事や悲しい事を共有せず、上澄みだけを掬う事は出来ない。一緒に喜ぶだけで無く、一緒に悲しみたいのだ。


ぴっぴのファンになって1年半が過ぎた。その間に彼女の対局を観られる機会は数える程だった。会いに行けた数も同様だ。だから私はまきラボやてふリーグといった勉強会もつぶさに観た。彼女の努力を見逃さない為だ。放送対局に出てくる機会の少ないプロはリーグ戦を含めた公式戦の結果の数字だけを見て判断されてしまう。ずっと結果を出せずにいれば弱い、伸び悩んでいる、努力が足りない等と言われてしまう。

園田賢は言った。平均順位が0.05違うだけでその人の競技人生はまるで別の物に変わってしまうと。そんな脆い橋の上を歩いているのが麻雀プロなのだ。だから私は過程を見る。ちゃんと見ていると彼女に伝える。ぴっぴが勝てばTwitter上で派手に喜ぶ。自分が勝てば喜ぶ人間がいると感じて欲しいからだ。それがモチベーションに繋がって欲しいからだ。負けた後に立ち上がる勇気になって欲しいからだ。

もしも私が沢山のプロを応援する人間だったならば、あらゆる人に頑張れ、ファンだと言っていたならば、その想いは彼女の心に響くだろうか?

私にはそうは思えない。だから私はあまり多くの愛を持たない。



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