ヴァン・クライバーン インタビュー(前半)
先日の愛知芸術劇場での『亀井聖矢ピアノコンチェルト』公演、本当に素晴らしいラフ3でした💚 私は亀井聖矢さんのファンですが、特に彼のラフマニノフはワールドクラスの一級品だと思っています(ヘッダー写真は、1月24日、愛知芸術劇場で亀井聖矢さんの相棒となったスタインウェイです)。
non-russianピアニストでラフマニノフと言えば、私はヴァン・クライバーンが最初に浮かびます。1958年4月、第一回チャイコフスキー国際ピアノコンクールで優勝したヴァン・クライバーン。ファイナルの演奏後、8分も拍手が鳴りやまなかったとか。
1994年、ヴァン・クライバーン氏60歳のインタビューがありました。インタビュアーが、『ヴァンは静かに誠実に、私の質問に答えてくれた。彼が考え感じる芸術、そしてプロフェッショナルについて、深い洞察を披露してくれた』と述べるこのインタビュー、感銘を受けました。拙訳にてご紹介します。各論を省略しても長いので前後半に分けています。(ヴァンさんの言葉は太字)では早速、どうぞ👇
♩ 若いピアニストのどこを聴くか。良き聴衆がしていること。演奏家は『しもべ』
ー若いピアニストの演奏を聴く時には、どこを聴くのですか?
彼らの音楽コミュニケーションを、伝えようとしている作品への愛を、私は聴くようにしています。私には、演奏する時は『しもべ』だ、という強い想いがあるのです。
ー音楽のしもべですか?それとも、人々の?
『すべての』です。演奏家は仕えるためにそこにいる。
ステージにいる理由は2つしかない。楽譜に書かれた音符に命を与え、様々な職業の様々な背景を持つお客様に届けること、これが理由の1つ目。
2つ目は、その様々な職業や背景を持つお客様の中に、音楽を知っている方々がいて、その方たちは、演奏家のその作品に対する想いを知りたがっている。
この2つのみがステージに立つ理由で、自分のために立つのではない。自分が演奏する作品を愛さなければならない。同じことを伝えるのにも様々な方法があります。ですから、私が聴いているのは唯一『伝えたいことが明確に伝わってくるか』だけです。
ー同じことを伝えるのに多くの方法がある、と仰いましたが、ご自身の伝え方も変わったのですか、時間と共に?
そうではなく、私は非常に優秀な聴き手ですから。
ステージに立てば、私はしもべです。コンサートに行くと、私は心の栄養をもらっています。
ーいえ、私が訊いたのは、あなたの作品に対する考えです、どう表現するかに対するあなたの考えが、時を経て変わったのでしょうか?
そうではなくて、良き聴衆は、その作品を弾いたことがあったとしても、自分の考えはすべて忘れる、これができているんです。だってね、もしも私が考えている通りに、誰かが弾いたとしますよ、そうしたらその演奏家が作品に込めた想いがわからないでしょ。
ーつまり、様々な方法があるというのは、解釈は様々だからということですか?
そうです。だから唯一大事なのは、明確に伝えられているか、ということなんです。
♫ 偉大な音楽の素晴らしさ。作品がクラシック音楽かどうかは『時』が教えてくれる
ーこの方がいいなという別のアプローチを聴いたら、演奏方法を変えたりしないのですか?
そこがクラシック音楽の素晴らしいところです。常に作品を研究し続けるんですよ。もう何回も演奏したことがあったとしても、偉大な作品は聴くたびに何か新たなものを聴くことができ、今まで見えていなかったものが見える。
偉大な音楽には不思議な悟りがある。だから『Classical(流行りすたりがない)』と呼ばれるのです。
ーその不思議な発見、どれを残してどれを捨てるか、どうやって決めるのですか?
私は人生で捨てるものは無いと思っています。好ましくないものを何度も更新しながら、時間をかけてやがて一つになる、そういうものですよね、ものの見方、捉え方というのは。
クラシック音楽は、プリズムや万華鏡のようです。プリズムを回転させ角度を変えると、全く新しい多くの色彩が現れます。常に向きを変えている。おかげで、時を越えて時代を越えて、同じ作品の全く新しい側面を見ることができるんです。
ーということは、プリズムに光を当てて、新しい角度に屈折させているんですか?
音楽そのものが光で、自ら輝きを放っています。素晴らしいことです。
私はこのことをいつも思っているんですが、紀元前385年にプラトンがアテネにアカデミーを設立した時から、基礎の3教科と、その先の4教科でカリキュラムが出来ていました。3教科は言語、修辞、論理、4教科は、算術、幾何、天文、音楽。音楽はこの7教科の中で最上位にありました。偉大な音楽は真に世界共通の芸術の一つの形なのです。翻訳が要らない、そして、偉大な音楽は不滅です。音楽が偉大なら、演奏が拙くてもその偉大な音楽作品が傷つくことはありません。
ー何が音楽作品を偉大にしているのでしょうか?
基準は2つだけです。あなたや私が、人間が何か見た時に、最初に働くのは感情であって知性ではない。知性は二番手。しかし、もしもそこに感情の部分と知性の部分が等しく存在していたら、それは傑作なんです。感情ばかりでは、構造が無い。知性あるいは知識ばかりだと、目に見えない本質が無い。
ーこの両立ができている作品は沢山あるのですか?
偉大な作品の全てに、この感情と知性の均衡があると思っています。
ー(敢えて反論してみる)しかし、最も素晴らしい作品以外にも、クラシック音楽の曲は沢山ありますよ。どの辺りで、この基準に満たない作品となるのですか?
基準に満たないクラシック音楽作品は無いと思います。世界中で深く愛され大切にされていれば、作品を非常に丹念に紐解いてみると、そこには十分に理由があるのです。偉大な構成、構築、意味を伝えようとするその率直さ、感性、そして、人々の心を掴んで離さないものを備えているんです。
ー作品の中には流行ったりすたれたりするものもありますね。
クラシック音楽には流行はありません。流行を作るのが好きですよね、皆さん。でも、演奏家や本当に深く分かっている感受性の高い方たちにとっては、流行はありません。
ークラシック音楽作品は、量的にも今後増え続けるんでしょうか?
それは『時』が教えてくれるでしょう。他のアートと同じです。時だけが、それがクラシック音楽なのかを教えてくれます。
ー作曲の未来は明るいと思いますか?
ええ。偉大な芸術作品は、人(他の人)のために創造されたものだった、ということを作曲家が常に忘れない限りね。
後半に続きます👇
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