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泥臭く汗を流しチームの為に走る一人の男。

大津祐樹という素晴らしい男について

ガムシャラにチームの為に走り続ける。そんな彼の姿を私達は魅了されているだろう。
たくさんのファン・サポーターに愛されてる兄貴について今回はそんな男について語ってみようと思う。

大津祐樹選手のプロフィール

名前 大津祐樹
ニックネーム ユウキ
ポジション フォワード/FW
背番号 7
年齢 29歳
出身地 茨城県水戸市
身長 180cm
体重 73kg
利き足 右足
生年月日 1990年3月24日
星座血液型 牡羊座A型

1.プロになるまでの道のり
横浜F・マリノスFW7大津祐樹。
1990年3月24日、茨城県水戸市に彼は誕生した。
兄の影響を受け小学校3年生の時にサッカーを始めるも、幼少期は小柄の体格で中学に上がっても身長が140cmほどしかなかった。中学校時には鹿島アントラーズノルテジュニアユースと並行してmalvaサッカースクール水戸校へと通い、フットサルでのプレーを通じ足元の技術を磨いた。
鹿島ではユースへと昇格できず、東京都の成立学園高校へと進学。そんな、成立学園の同級生には現アルビレックス新潟所属の舞行龍ジェームズ選手らがいた。

そんな彼は、高校在学中は全国では無名の選手であった為、Jリーグクラブからのオファーはなかった。
当初、彼は大学進学を考えていたが「ある男」と出会った事により、彼のその後の人生を変えることになる。
現役時代には当初はヤンマー(現セレッソ大阪)に所属していた鈴木康仁氏が成立学園と柏レイソルとの練習試合の際に、彼の目に留まり、熱烈なオファーにより柏レイソルへと入団する事を決意した。

2.プロ入り後の人生

2008年、柏レイソルへと入団。
加入直後の2008年2月、フランサ、北嶋秀朗、李忠成といったFW陣が相次いで怪我で離脱。。。
そんな時に彼にチャンスが訪れた。プレシーズンマッチのちばぎんカップにスタメンデビューを果たす。
しかし、対戦相手のボスナー選手により抑え込まれプロの洗礼を味わうことに。
その悔しさをバネにフィジカル強化に取り組んだ。
2008年3月29日のジュビロ磐田との開幕戦で後半44分に李忠成と交代でJリーグ初出場を果たす。
翌年2009年4月29日の第8節大分戦にて、チームの貴重な逆転弾を決めた。そのゴールこそが彼のJリーグ初ゴールとして記録された。
その年は、攻撃陣の柱としてリーグ戦33試合6得点をあげた。
だが、チームはJ2へと降格。。。
翌年にはJ1クラブからオファーが届くも全て断り、柏レイソルに残留することを決意。
しかし、筋肉系の負傷が続きプレーできずにいた9月にネルシーニョ監督の意向もあってブラジル・サンパウロへと渡り、怪我の治療と再発防止の為の肉体強化に専念する事となった。
チームは1年でJ2優勝を決めてJ1復帰を果たした。
2011年には、開幕戦からレギュラーとして走り続け7月までに10試合に出場を果たした。
そんな彼に転機が訪れたのがこの年。。。

3.大津祐樹、海外へと

2008年からプロの世界を歩み続けたプロ4年目の2011年。
彼のこれまでの活躍が海外のあるクラブに認められた。
では、あるクラブとは一体どこなのか?
そのクラブとはドイツ・ブンデスリーガのボルシア・メンヒェングラートバッハ(通称ボルシアMG)。2011年7月に海外移籍を果たす。
4部のレギオナルリーガのリザーブチームでプレーした後に、同年10月22日の第10節ホッフェンハイム戦に後半39分から途中出場し、ブンデスリーガデビューを果たした。

しかし、当時のボルシアMGは現ドルトムント所属のMFマルコ・ロイスらがいた為、攻撃陣の層が厚く試合に出場する機会がなく、リーグ戦では3試合のみの出場となった。

そんな彼は、翌年2012年8月に出場機会を求め、かつて本田圭佑らが所属していたオランダ・エールディヴィジのVVVフェンローへと移籍。

同年9月15日、第5節NECナイメヘン戦で途中出場ながらも、移籍後初出場とオランダリーグデビューを果たす。
また、10月21日の第8節フェイエノールト戦では、スタメンデビューを果たし移籍後初アシストを記録。12月9日の第16節フィテッセ戦でようやく、彼にとって待望の日がやってくる。
その試合で、移籍後初ゴールを決めたのであった。
その後、チームは昇降格プレーオフで敗退し、2部へと降格。。。
しかし、2013-14シーズンもチームに残留し、本田圭佑やカレンロバートが着けていた背番号「10」を引き継いたが、またもや彼に悪夢が襲う。。。

2013年12月15日の第21節MVVマーストリヒト戦で右足アキレス腱断裂の重傷を負い、残りのシーズンを全試合欠場せざるを得ない事に。
2014-15シーズン、2014年8月22日の第3節デ・フラーフスハップ戦で250日ぶりに公式戦復帰を果たした。

しかし、彼の海外でのプレーはある出来事によって突如幕を閉じることに。。。

4.アンダーカテゴリーの代表からA代表へと。

2011年ロンドン五輪アジア最終予選のU-22日本代表に選出。
初戦こそ、出場機会はなかったものの、2戦目先発に起用されると前半44分にゴールを決めた。
これが、彼にとって代表戦では初ゴールとなった。
そして、3戦目シリア戦でも後半41分にチームの決勝点となるゴールを決め、2戦連続得点を記録した。

https://youtu.be/UozRK12pr6Q

シリア戦での得点

そして、シリア戦以来の招集となった6戦目マレーシア戦で1トップに起用され先発出場。
ゴールこそはなかったものの、チームのロンドン五輪出場に貢献した。

その後、2012年に開催されたロンドン五輪に18人の中に大津祐樹の名もあった。
初戦、強豪スペイン代表との試合に大津は左サイドで起用されると、前半34分に得点をあげる。後半開始と同時にベンチに退く事になったが、初戦を1-0での勝利に貢献することとなった。

https://youtu.be/yZAPIc4hFwE

スペイン戦での得点

そして、準々決勝進出した日本代表はエジプトと対戦。後半38分にMF扇原からのクロスを頭で合わせ、ダメ押しとなる3点目を決めた。そして、試合は3-0で終了。
続く準決勝メキシコ戦でも先発に起用されると、前半12分に強烈なミドルシュートを叩き込み先制。これで大津祐樹は今大会3得点目。
しかし、チームはその後失点を許し、1-3で逆転負けを喫し準決勝敗退となった。
そして、韓国との3位決定戦。メンバーには大津祐樹の名もあった。
しかし、試合は0-2で終了。ロンドン五輪の幕を閉じた。

翌年2013年にA代表に初選出。2月6日のキリンチャレンジカップラトビア戦で国際Aマッチ初出場を果たす。
A代表では、合計2試合に出場した。しかし、得点こそは奪えなかった。

U-23日本代表 14試合6得点
A代表 2試合0得点

5.日本復帰へ。そのきっかけとなった出来事とは?

VVVフェンローが財政難に陥った事により、彼の海外でのプレーは幕を閉ざす。
そして、2014年12月12日に古巣柏レイソルへの復帰が発表された。
背番号はオランダ時代と同じ「10」に決まったが、柏で日本人選手が背番号10を背負うのは2003年の大野敏隆以来、およそ12年ぶりとなった。

2015年は脚の違和感により、キャンプから別メニューでの調整が続いた後に、またもや悲劇が彼を待ち受けていた。
2015年、6月20日の1stステージ第16節名古屋グランパス戦で後半12分で負傷交代。
診断結果は、左膝後十字靭帯損傷。その後も左膝後十字靭帯の損傷などにより、怪我に苦しんだものの同年10月24日2ndステージ第15節清水エスパルス戦で前半38分にファン・サポーター待望の日本復帰後初ゴールが生まれた。

2017年には、リーグ戦4位、チームの天皇杯ベスト4進出に貢献した後
彼は新たな決断を果たしたのであった。

6.新天地横浜F・マリノス

2018年1月3日、年明け早々あるニュースが流れてきた。
横浜F・マリノスへの完全移籍が発表された。
そして、その2日後の1月5日にはテレビ朝日アナウンサーの久富慶子さんと元日に結婚していたことを発表。
彼は、お世話になった柏レイソルと新天地の横浜F・マリノスにコメントを以下のように残した。

柏レイソル
「6年半お世話になりました。柏という街も、クラブも、サポーターも、とても大好きでした。ただサッカー選手として成長するために今回は移籍という道を選びました。今まで本当にありがとうございました」
※柏レイソル公式サイト参照

横浜F・マリノス
「初めまして大津祐樹です。少しでも早くチームの力になれるよう頑張ります。これからよろしくお願いします」
※横浜F・マリノス公式サイト参照

そして、横浜F・マリノスの新加入選手発表会で大津祐樹という男の新たな背番号が発表された。その背番号は「9」
それは、彼が今までに着けていた27、14、23、17、10とは全く違う番号であった。

マリノス加入後、我々は大津祐樹という男の新たなプレースタイルを目の当たりにすることに。
そう、今までなら巧みな足元の技術からのシュートやミドルシュートで魅了させてきた。
だが、マリノスでの彼のプレースタイルはこうだった。
「がむしゃらに追い続けチームの為に走り切り、チームの力になろうとする献身的なプレー」
泥臭いプレーをしつつもチームの為に走り切るそんな姿に誰もが心をわしづかみされたのは間違いないだろう。
2018年は主にトップ下といった中盤での起用、スリートップの中央でも起用されることが多かった。
トップ下では本来の良さを発揮できていたものの、スリートップの中央ではボールの収まり所が悪かったりと不慣れな感じが目立った。
しかし、マリノス移籍後彼にとって待望の瞬間が訪れた。
5月19日のホームV・ファーレン長崎戦で、前半18分にFW遠藤渓太が獲得したPKを前半21分キッカーを任せられた大津祐樹が左下に見事に沈めマリノス移籍後初ゴールを記録した。
その後も先発での出場や途中出場、ベンチを温める事もあった。

しかし、チームは勝ち点を積み重ねることができずリーグ戦12位でシーズンを終えることになる。

そして、一年が過ぎ2019年。
助っ人外国人選手の活躍やFWの仲川、遠藤らアタッカー陣の活躍もあり見事、15年ぶりのJ1リーグ優勝を達成した。
では、2019年大津祐樹はどうだったのか?
出場機会こそ途中出場がほとんどにはなったが、チームには欠かせないそんな選手へと。
得点こそはなかったものの、チームの勝利へと繋ぐアシストを6月22日16節松本山雅FC戦で記録した。
10月19日湘南ベルマーレ戦では、J1通算150試合出場を達成。
サポーターの声に答え、本人が動き新グッズのデザイン追加に貢献。
今年、29歳であるそんな中盤の選手としてチームを誰よりも支えていき、チームの為に走り続けた。

7.新天地2年目、栄冠を掴む。

そして、優勝のかかった最終節で試合に出場できなかった彼はこうコメントを残している。

「ひとつだけ言えるとしたら、ケガで試合に出るのが難しそうと分かった時は、すごくショックだった(笑)」※タグマさん参照

そんな思いを胸に最終節をスタンドから見守ることになった彼だったが、彼の今年の貢献ぶりを考えたら凄いものだろう。
31節札幌戦で助骨を負傷するものの、体に無理をいい33節川崎戦で途中出場を果たし、見事にチームの得点の起点となる活躍を見せた。
だが、その際に負傷してしまい交代。
そんな事実を知った私はとても感動したし、大津祐樹という男の素晴らしさを改めて感じた。
これからも、大津選手はたくさんの感動や興奮をマリノスでのプレーで表現してくれるはずだろう。

8.大津祐樹選手のキャリア一覧

プロキャリア
2008年-2011年 柏レイソル 66試合7得点
2011年(7月)-2012年 ボルシアMG 3試合0得点
2012年(8月)-2014年 VVVフェンロー 50試合6得点
2015年-2017年 柏レイソル 49試合3得点
2018年-2019年12月7日終了時点 48試合 1得点

9.大津祐樹選手のチャント

柏レイソル時代のチャント

https://youtu.be/xibBYzHoPB4

横浜F・マリノスでのチャント

https://youtu.be/J7frbh9JelM

https://youtu.be/_1vn5HDc3J0


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