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20240923

中身のない人間
全てが稚拙で、頑固で、逃げと正当化に特化したような生き方

僕がそれを愛せるようになるまであとどれくらいの時間が必要だろうか

僕も他者の目にはそのように写っているのだろうか

彼女は良い文章を書いていた
よく考えられていた
稚拙とは程遠く 賢く

ただ全てに対する理解を諦め、稚拙な幸福論に身を任せ、向上心を捨てたから 成り下がったのだろう 稚拙なものに

僕が他者にどう思われていようと 僕がそれについて考えたり苦しんだりすることはあっても 割り切るしかないことがほとんどなんだろうな

僕はそういった他者を軽蔑することはあっても否定はしない 他者の中の自分だとか自分の中の他者だとか、突き詰めた先にあるものは ただ向上心を持ち続けるべきだ、ということ そう思っている 稚拙な格付けや稚拙な人生のゴール、或いは君の歩みが他者に帰結することがあればそれだって 向上心を捨て他人や自分から逃げ 人生を諦め、費やして来た全てを捨て、死に向かうということなのだろう それは他者の中の自分だとか自分の中の他者だとかそういうベクトルで捉えたときに幸福と言えるのかどうか 人は幸福に向かっているのだろうか 盲目的に生き稚拙なものを精一杯愛して、正当化と逃げに興じれば そこに幸福を構築することができるのではないだろうか 他者の中の自分は幸せだろうか 自分の中の他者は幸せだろうか 

全員殺して 人が自分一人になったとしても それでも 自分は生きているの
個を定義するために他者を用いる方法はもっとも楽で簡単だけれど

あれも、稚拙、これも稚拙な それら稚拙な全てを形作っているのは 稚拙な理論 稚拙な常識 宇宙の意志である法則やそれの上位に存在する法則を無視し感覚を殺した稚拙な科学 幸福論 人の形作る 社会 作られる歌 絵 文 その全てから距離をとって。私はもう一度 無垢なものとして生まれ変わるの

他者の中に私がいて、私の中に他者がいること 他者を傷つけることで自分を傷つけること 自分を傷つけることで他者を傷つけること 

他者を傷つけることで自分を傷つけること

で、収まらないほどの嫌悪を、持ち続けていたい

それは、或る視点によっては愛と同義であり、私は稚拙な彼女のことをそれでも愛していたのかもしれないし、或いは人間は傷つけることでしか愛の正当性を語ることができない

ただ、何事も0か1かでしか考えれなかったり、本当に美しいものが何か とか考えてなかったり 他者に対する理解を諦めたり そういう人は 美しくないのだ だから私は他者を傷つけることによって自分を傷つけた先に、それでも稚拙な彼女のことを嫌い、同時にそれは愛でもあるのだ 愛に強い正当性を持たせるために それよりも強い意味を持つ傷つけるという行為の威を借りたということなのかもしれない そうすることでしか素直になれず、そうやって生きている 素直じゃないね 寵愛、混じり気のない愛、それらは他者と自分の境界のない私の精神世界に置いて、他者を愛する前に自分を愛するとかいう、簡単なことに帰結している かと思ったらその場合の他者に見えている自分は他者に見せている自分を他者が見ているという構造をしていて自分の中の自分を他者が見ているわけではないから、他者の定義した自分の形を定義する自分と自分の定義する自分の形に差が生まれる可能性が 怖くて それどころか 私達は自分は自分のものだと勘違いをしがちだが 実のところ自分は自分の自我のものではない 他者を自我の中に再構築するのと同じように自分を自我の中に再構築する。自我の理解を超えた高次の脳機能は自身の定義、自我による自我の定義を不可能にし、それを人と認識しない 

これら混沌の中で私たちは見たいものを見て、愛したいものを愛して、盲目的に幸福を追い、それらを定義することもなく、間隔に生きることもなく、ただのうのうと生きるように それを上手な生き方なんだと言い聞かせ そうあるべきだと言い聞かせ そうやって生きている稚拙な彼女を私は自身の精神世界で殺し、人は孤独を守って生きていくべきなんだと理解をすることにした 視野だって狭めちゃいけない きっと そのための統合が新しい犠牲になり、身代わりになるとおもっていたのに、いつしか本体に意味や価値や正当性はなく、連続性なく人を傷つけているそれらの暴力性こそが私の連続性であり、世界は全てを記憶し、物理的な記憶によって人は連続性を担保し、魂は死んだ 或いは私の魂は私の中の彼女に殺された 殺人をされた 全くひどい話である 私が他者を傷つけることは他者が私を傷つけることと同義であり、私がそのための統合を身代わりにすることは、それら統合やそれに付随する記憶やそれら統合を愛する他者の純粋な行為によって身代わりが自我を傷つける、傷つくことの身代わりとし自己の連続性の歴史書に愛の剥製としてその形を刻むことになる それら歴史を自己の連続性として愛に満ち溢れた人生を歩むか、少しずつ少しずつ不要なものを切り捨ててただ無垢で美しいものを目指し、エロスにもタナトスにも帰結しないがまだ残っている肉体的なそれを連続性とし、苦痛の人生を歩むのか 或いはそれは同義であり愛は虚構でありであれば連続性とは肉体にも魂にも存在せず、人が生きていくために必要なものではなく 私が全員殺しても私の中の私が私の中の他者に順番に殺されてかつての身代わりの愛の剥製を全て焼き払われたとしても それでも私は生きて、新しく何かを生む それは人は生きているという、絶対的なルールそのもののみが答えであって連続性であって不変の統合であって高次のものなのだという、至極当然ではあるが そういったものを自己の連続性として、それを自己として、私は愛せるかと言うと、それもまた無理に近いのである そこに彼女はいないもの 私は何を追ってこの先生きていけばいいのだろうか
私は私であろうか はっきりと自信を持って愛していたものや人を自分の中から殺し、剥製も焼き払い、ただ無垢であろうとした 私は生きている それだけで十分なら、生は生として終りを迎えるべきで、生は死として終わりを迎えるべきではないが、終わりの存在しないことが生の形であり、絶対的な美しさを誇る要因なのかもしれない 私の人生、私が生きることの帰結する先は死でもなんでもなく、私が生きた証は人が死んだあと完全に残り続けることはなく、それを追うことも無である 世界に、宇宙の意志や記憶に残されればそれでいいかと思いきや、それら宇宙の意志はそれの上位のものによって 安易に否定されうる これらカオスを持ってして、未だに生き続けていることだけが真実であり、安易にエロスやタナトスや幸福や他人に帰結しないために、無垢で美しいものであるために、向上心を捨てずに、生きていく 俺は男だから

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