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素人と読む旧約聖書⑦スケープゴートに花束を

 素人と読む旧約聖書シリーズは、筆者が、作家であり絵画など美術作品に詳しい中野京子大先生の本を読んで、歴史や美術に関心を持ち、その中でも特に興味を抱いた「聖書」の分野を、皆さんにも理解してほしいという思いから始まりました。ちなみに、筆者は万物において素人なので、どうか温かい目で記事をご覧願います。
 参考にさせていただいた中野先生の著作はこちらになります。是非、購入をいただけたら私も嬉しいです。
 Amazonリンク:中野京子と読み解く 名画の謎 旧約・新約聖書篇
         著:中野京子・文藝春秋社


1.イサクの誕生

 前回までのおさらい。『創世記』の第17章で、99歳でアブラハムは割礼を終える。少し飛んで第22章。割礼を終えたアブラハムの元へ、3人の天使が舞い降りる。天使曰く、アブラハムは妻サラとの間に、イサクという息子ができるという。
 アブラハムには、エジプト人のハガルとの間に「イシュマエル」という子がいたことは、前回説明したが、神はユダヤ人の母から後継者が欲しいと考え、今回、アブラハムの元へ天使を送ったのであった。なんとも聖母マリアの受胎告知のようね。
 ちなみに、この後ハガルとイシュマエルは捨てられる。(後に天使に助けられる。)

2.イサクの犠牲

 時間は過ぎ、第22章イサクが成長したときに、神の試練がアブラハムに襲いかかる。神曰く、山の上でイサクを神に捧げなさい(生贄となり焼かれて神に捧げられる)と。
 神への絶対的忠誠心を持つアブラハムは、神に息子を捧げるために、必要な道具(火打石、まきとかナイフ)を持ち、自分が生贄になることを知らないイサクを同伴させ、3日間かけて神の指定した山へと登った。

 やっと着いた山の上で、子羊を生贄にすることを聞いたイサクは、そこに羊などいないことを確認し、自分が生贄になるのだと悟る。アブラハムはイサクを縛り生贄にしようとした、その刹那、天使が降りてきて「アブラハムの神への忠誠心は理解した」とアブラハムを止める。
 それから、いるはずのない子羊が横にいるのを発見した2人は、羊を焼き、神にささげるのであった。

 それにしても、アブラハムの自分勝手さには驚愕させられる。どこが偉大なる族長なのだろうか。誠に遺憾である。

3.生贄という文化

 さて、今回のお話では、「イサク」が生贄になりかけたが、生贄とはなんのために存在するのかを確認しておく。
 生贄とは、神への供物として、生きた、または、殺した動物を供えることである。旧約聖書にあるように海外だけでなく、日本にも6、7世紀の書物からも生贄という文化が確認できている。

 特に、旧約聖書では、人間の背負う「原罪」の赦しのために、神に動物の生贄を差し出すことが決められている。
 例えば、カインとアベルの章では、カインが土の実を捧げた一方、アベルが羊を生贄として捧げている。以上のルールを知っていれば、この時アベルが神から贔屓されていたのは納得できるのではないだろうか。

 題名の「スケープゴートに花束を」について解説しておく。
 「スケープゴート」とは、旧約聖書『レビ記』にある贖罪の日に「ヤギ」(英語でゴート)を捧げていたことから、「生贄」という意味を持つ。
 「花束を」は『アルジャーノンに花束を』という小説からとっている。小説の最後では、ネズミのアルジャーノンの墓に花束を置いてほしいと主人公が記す。
 生贄として捧げられた動物たちに、花束をささげたいと思う。

 次回は、ヤコブが登場する。お楽しみに。

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