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自由になる自由はあるのか?

少し前こんな事件がありましたね。
「筋萎縮性側索硬化症(ALS)嘱託殺人」

これには大変ショックを受けました。
ALSほど大変ではありませんが、体の
機能を失っていくのは辛いことです。
自分の事が自分で出来なくなった時、
人は言葉にはし難い絶望を感じます。

安楽死、尊厳死…色んな言い方はある
けど、私はもう人としての尊厳は失
っています。
そのボーダーラインは何か?と聞かれ
ても自分がそう感じる事がたくさん
あったから。
尊厳なんて持ってたら治療すすみません。

自分捨てないと無理です。
普通にある羞恥心とか、かなぐり捨て
挑んできましたけど疲れるんです。
体よりも心が疲れるんです。
外科的にも感覚器、内科的にも疾患が
あるのは精神的負担も大きいです。

難病って基本治らないですから…
悪化と寛解を繰り返していくだけです。
死ぬまで……失明するまで……
人間関係や借金のように清算する事が
不可能なのが病苦というものです。

今回、被害?に遭われた女性の気持ち
がとても良く分かるので辛いです。
何をもって人は生きてるとするのか?
それは自分自身に問いかけてきた疑問
でもあり、葛藤でもありました。

でもそれを認めてしまったら、今後
「なぜ貴方は尊厳死を選ばないの?」
なんていう同調圧力も生まれてしまう
のかもしれません。それは絶対に
あってはならない事だと思っています。

今でも答えは出ていません。
とにかくショックな事件でした。
ただ、ここまで頑張ってこれたのは、
医療従事者のかすかな気遣いや言葉、
周囲の人達の思いやりだったことは

間違いないです。
それは本当に感謝しています。

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