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方位を誤ったら、そっと思い出して。

かつて好きだった人が、NHKの某番組に出ていた。
プロフェッショナル人の仕事場のメンバーとして、背景とほぼ同化するように映り込んでいた。

最後か、最後から2番目ぐらいに会ったとき、件の業界に転職したとは聞いていた。
給料ほぼ半分に減ったと笑いながら、その表情は充実感をにじませていた。
転職は間違いではなかったらしい。
プロフェッショナルに従事する一瞬の、小さな荒い姿に、ホッとする。

涙は出なかった。
ただ、無性に吐き出したい。

***

彼は私にとって唯一無二で、不思議な存在だった。

世の中に対しては常に斜めのスタンス。
周りに迎合しない、自分の哲学があるところ。

彼と接すると、「考える」という作業がとても神秘的かつ原始的なものに感じる。
私はいつも、彼との会話で自分の考えを棚卸しして、新たな自分に気付き、与えてもらうばかりだった。
会うたびにテーマを設けて話し合い、お互いの考えを昇華していくのが楽しかった。

でも楽しいことには終わりが訪れる。
――いや、楽しいと思っていたのは自分だけだったか。

自分自身の考えを整理するのに精一杯になるから、特定の人と一緒にはなれない、と彼は言った。
私は、そんな考えも彼らしくて、その哲学を守りたい、と思った。

***

数年が経ち、再び会うようになった。
激務で心身に不調をきたし、人と話すリハビリをしたいという。
コーヒー片手に話しながら、様々な本を貸し借りするようになった。

バタフライ・エフェクト、という言葉がある。
風が吹けば桶屋が儲かる、をちょっとカッコ良くした言葉。(違うか。)

私が貸した本の中に、とあるノンフィクション作品があった。

その本をきっかけにノンフィクション作品を読み漁るようになり、
沢木耕太郎 著『凍』に感銘を受け、
軽い気持ちで山登りを始めたところハマってしまい、
仕事を辞め、本格的な登山用品を一式揃えて身体を鍛え、
ネパールに数ヶ月滞在し、数々の頂を制覇したという。

帰国後の彼は、日に焼けたという点だけでも見違えるようだったが、内々からの雰囲気がこれまでとは明らかに異なっていた。
周りや新しいことに興味を持つ柔軟性を身に付けた彼は、やっぱり、素敵だった。

最初に私が貸した本は『死刑でいいです』
いま思えば、心身に不調をきたしている人に貸す内容ではなかった。
でもそれがきっかけで彼は趣味を……、いや、大げさに言えば、生きる意味すら見付けたのかもしれない。
バタフライ・エフェクトだ、と思った。

私もようやく、彼に与えられたのかもしれない。

***

彼の家で読書したり、一緒に低山に登ったりして数年が過ぎた。

最後に会った日、彼は「大事な人ができたからもう会えない」と言った。
男女の関係を0か100かでしか考えられない彼が、"らしく"て笑ってしまった。
ほどなくして私の結婚が決まり、彼のアドレスも、トーク履歴も、すべて削除した。
そのことに後悔はない。
もし彼と一緒になっていたら……なんて未来予想図を描くことも、ない。

けれど、度々思い出す。

彼はいま元気にしてるかな。
彼だったらこの状況を、どう考えるかな。
こんな時、彼ならどうするかな。

会わなくなってから、私は自分を棚卸しすることもなく、何かを一生懸命考えることもほとんどなくなった。
つまらない人間になったな、と思う。
話して、考えて、自分を取り戻したい。

……彼に会いたい。

***

共通の友人もいる。会う方法はいくらでもある。
でも叶えることはないだろう。

彼がかつて与えてくれたものを今、思い出す。
私は心の中に彼を召喚して、自分を奮い立たせる。
そして、画面の中の彼に、改めて……。
ありがとうとさようならを。

貴方はもう群青さに甘えずに戻らない路を選ぶと云っている。
私ももう溜め息は漏らさない。美しい貴方の決断がため。
---
背負っても潰されないのは、今日も貴方が生きていると信じていて、疑わずにいるからなんだよ。(ほんの些細な理由) 
どうかお元気で…。

東京事変『手紙』(2006)

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