考え方の話

明石家さんまさんがどこかで、「スベっても全然落ち込まへん。俺はまだまだやなって思うだけ」みたいなことを言っててその言葉がとても好きで、「だからまた次頑張ろう」と思うらしい。慢心することはないらしい。この考え方って素晴らしくない?これを地でいくからこその才能というか、俺にはないものだったのでとても憧れているし奈良の星やと思っている。

多分5年前の俺ならそういう事は思わんかったと思う。これまでの人生を振り返ってみても、まあ正直別に賢いほうではなかった、なかったなりに頑張って(自分の当時の高校の偏差値とかから見ても)すごい背伸びした大学にも現役で合格したし、学部内でもずっと一番上のクラスにいれたし、何年も片想いしていた子と付き合えたりとかして、まじで俺何でも出来るやん、とずっと調子こいてた。まあ調子こいてたのは殴りたいけど、別に親の期待とか背負ってたわけではなく、自分で勝手に頑張ってた。当時の動機はそれこそ下心MAXで、高3で登校日少ないのに毎日学校で勉強して後輩の女の子たちからの差し入れでお昼を済ませたり、他の奴らは塾行ってるのに俺より勉強できへんやん、みたいなことを心の中で思ったり、だからこそ絶対負けるわけにはいかん的なのがモチベーションになってた。

そういう青春時代を過ごしたもんなんで、社会に出て仕事をしていてもわりとバチバチしてたと思うし、それはゲームでもそうやったけど、まあどちらも色々な挫折などを経験した。今の俺が数年前の自分を見たらめちゃくちゃ調子乗ってると思うし、何が社会人やボケと説教したくなると思う。どこかでずっと自分はわりと何でも出来て人付き合いも上手くできるし順風満帆みたいに思いながら過ごしていた時期は結構長かった。というかそういうのって生きづらい、と思うようになったのはめちゃくちゃ最近かもしれん。

半年ほど前に3年ほど住んだ千葉を離れて同じくらい働いた職場からも転職した。当たり前やけど現職場ではまじで足手まといでせいぜいまだ雑用くらいでしか役に立たん。それも人の倍くらい時間がかかってしまったり。私生活ではFF14で最近、絶バハムートに誘ってもらったので、初めて絶コンテンツでヒーラーをプレイするという事をやってみたりしている。これが難しい。仕事も遊びもそうやけど、世界が広がっていくほどに「自分の出来なさ」みたいな事が顕著に見えてくるようになった。転職の度に会社の規模は大きくなっていくし、ゲームでも長くプレイしてたら色々な事に挑戦してみたくなってくる。そうしたときにいかに自分がこれまで見ていたものが小さかったのかという事を痛感する。自分としては、なんでもそつなくこなせてバリバリやってきた、という実績がある(つもり)だったものがどんどんぶち壊されていく。これが多分5年前の俺なら完全に闇落ちしてたと思うんやけど、ところが今は不思議とそうは思わない。だって実際やっぱりうまく出来ないし仕事では迷惑をかけるし要領は悪いしゲームは下手やし。昔はそれにどうしても納得がいかず自分にイラつきまくったりしたけどそれも今思えばお前は何様やねんと言ってやりたい。身の程をわきまえろ。

幸いなことに、今の職場ではそういう事で見放したりする人はおらず、丁寧にフォローしてもらえたり、俺の何倍もみんな忙しいはずやのにいつ誰に何を聞いてもめちゃくちゃ丁寧に教えてもらえたりして、それがやっぱみんなかっこいいんよな…。男女問わず。本当に尊敬出来るなあと思って、その辺から多分考え方も変わってきたんやと思う。出来へんなら出来へんでちゃんと自分を認めて、そのかわりしっかり努力をしようと。ゲームの方でもそう。8人で挑む絶コンテンツでは今回は半分くらいがもう既にそのコンテンツを遊びつくしている人たちなので、いわば俺は完全に足手まといで、極端に言うとその人たち以外がノーミスなら1日で踏破出来てしまうような環境でプレイしていて、しかしもちろん現実はそうはいかん。周りは見えてないしミスはするし、これも自分の出来なさを認めていかなければいけない部分。5年前の俺なら多分不貞腐れていたような気もするけど、だって俺そんなに上手くないし、それをちゃんとわかったうえで努力していこうと思ったりしてる最近。

こういう事が立て続いたここ数か月だったもんで、こう色々落ち着いてきた今になって、自分の考え方も変わったなあと思った。これもまた成長かな。まあ実際こういう視点で物事を書いてる時点で、俺はどうしようもなく自分が出来ると思っているという裏返しになることは否めない。最初から謙虚でいれる人はそもそもこういう事を考えたりせえへんはずやから。せやけども俺がこの考えに至れた事が自分の中では結構大きくて、そういうプライドの高い自分から一歩成長しようとしている事は悪いことではないはず。。

そんな事を思った時に同じく思い出して、物語の話で恐縮やけど、偽物語という話の中でこういう場面がある。「本物と、それに限りなく近い偽物があるとする。その2つではどちらの方が価値があるか」という問い。作中では3つに意見が分かれていた。ひとつは本物に価値がある、もう一つはどちらも同等、そしてその中で注目されていた3つ目の答えは「そこに本物になろうという意思がある分、偽物の方が圧倒的に価値がある」というやつ。これが結構ぶっ刺さっていて、冒頭でも言ったけど俺はさんまさんのような人間にはなれんし、そもそもの考え方が真逆のタイプだと思う。やけどもやっぱりそういう人間は素敵やと思ったし、自分もそうありたいなと思って努力することって別に悪いことじゃないよな?って認めてもらえている気がして。別に圧倒的に価値があるとまでは思わんけど、こう自分の考え方を変えてよりよい人間になろうと頑張ることに価値があるという風に解釈したりなんかしてな。

長くはなったけど、そんなこんなで自分の考え方も変わってきたなあと。昔はFFなんかやらんって言ってた奴がFFやったっていいし、iPhoneよりandroidって言ってた奴がiPhone持ってたっていいし、好きやった人を嫌いになってもいいし逆もいいし、そうやって色々な事を学んで成長していく過程で考え方が180度変わってもそれは全然ええやんと思ったわけですわな。かっこいい大人になれるようにこれからも努力していきたいと思う男の戯言でした。

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