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損得社会に抗う

正しさを追求する人って割と少ない。

親がとりあえず満足するから、上司がこう言ってるから、今これを言っても損するだけだから。

思考停止のまま、みんながこうしてるからこうする、みんながああしてるからああする。

目の前の人がいじめられている。でも見て見ぬふり。だっていいことないじゃん。

例外はあるけど、学校でも仕事でも正義が相対的な人が多い。正しさがその時と場所によって自由にスライドする。

道徳的に考えて普通こうでしょとなるところも、お金とか力が絡むと、1秒で変わる。

私はなぜか昔から破滅的なまでに自分の考える正しさにこだわることが多くて、でも家族には誰にも理解されず、自分がおかしいのかと思っていた。

ちょっと病気っぽいけど、自分の譲れない正しさがあったら命と引き換えてもいいと思って生きてきた。

5歳の時。父親が母親を殴る。私は間に立つ。「お母さんを叩かないで」私はお父さんに殴られてもいいと思っていた。お父さんがおかしいとおもったから

11歳の時。友達が女子グループを作って一人の女の子を無視し始めた。何にも理由はない。私も最初は加担してしまった。申し訳なくてその子に全てを話して謝った。馬鹿みたいだけど後先は考えなかった(あとからそのお母さんから家に電話が来た)

16歳の時。電車内で痴漢にあった。気づいたら胸ぐらを掴んで「触ってんじゃねえよ」と言っていた。殺されてもいいと思った。全身でこいつの不正を表現したかった。平日朝7時半頃の渋谷行きの東横線車内。サラリーマンでぎゅうぎゅうの先頭車両。周りの人は誰も助けてくれなかった。家族にも責められた。絶望した。

ずっと私が変なのかなーと思ってたけど(ちょっと行き過ぎだとも思う)、宮台真司先生によると、正義よりも自分の損得を優先してしまう(宮台先生がいうところの)損得野郎は近年の日本で顕著に増えているらしい。

私は間違ってないはず、、という理由のない自信はあったけど、宮台先生がいろんなところで損得野郎の増加を問題にしていて良かった。

損得人間に成り下がらなくて良かった。

幸せなことに、大人になればなるほど、正しいことを大切に自分の生き方を決めている人を見つけられる様になって、前ほど人間に絶望しなくなった。結構いい人がいっぱいいるんだなって思った。尊敬できる人もいっぱいいる。

そして正しさを炎の様に燃やさなくても、軽やかに表現して生きている人も見てきた。

私もこういうふうに軽やかに、これからも自分の考える正しさを試行錯誤しながら貫いていきたい。


※宮台先生が日本社会における損得人間の増加を論じた著作はたくさんあるかと思いますが、私はまずこれを読みました。
こちらでは損得について性愛の観点から学べます。「簡単そうな」表紙ですが、内容はかなり高度だと思います。非常に面白かったです。


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