その灯火がきえるとき
いのちの終わり方
何が理想なんだろうか
自分が自分のいのちについて、判断できなくなった時
身の回りにいる人間の最適解はなんなのだろうか
最適解なんてないんだけど
ここで終わらせるいのち、死んだような日々だとしても繋げるいのち
その判断は身の回りに一任される、残酷だ
頭で考えたら、管に繋がれたいのちに意味なんてないのかもしれないと思う
ただ、その決断は簡単にはできない
授業参観に一眼レフを持って見にきてくれたこと、駅まで車で送ってもらったこと、コロナ禍に手紙を添えて荷物を送ってもらったこと
私が愛せていなかったとしても、愛は確かにそこにあって、今も自分の中で小さな炎みたいに燃えているのかもしれない
自分が思い返すだけでもこんなに出てくるのだから、きっとお母さんが感じた愛はひとしおだろう
それは、そのあとどんなにひどいことをされたとしても、迷惑をかけられたとしても、今の状況が自業自得だったとしても、ずっとずっと消えずに残っているんだと思う
人が繋いだ愛は、どこかに必ずその跡が残っていて、それが残酷でもあり救いでもある
少しでもみんなが辛くない選択ができればと願うけど、私は弱いので、枕を濡らしながらまとまりのない文章を書くしかできない
母は強しだと思った
人のいのち、あまりにも儚い
あっという間にいなくなってしまうね
その瞬間、私は何を思うんだろう
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