ロールズの正義論とリベラリズム

アメリカの政治哲学者
1971年【正義論】

前提として『多数決では真の平等は実現されない』と考える
各個人はそれぞれの利害・道徳観・宗教的信条・社会的地位を持っている
このような状況においてなされた契約——法律、憲法など——
それ自体が道徳になることはありえない

カントも同じように考えていた
ロックをはじめとする社会契約論者は『合法的な政府』を
『人々がどこかの段階で自分たちの生活を律する原理として定めた
社会契約によって生じる』と主張
それに対しカントはそのような社会契約が事実として(文面としてと捉えてもよい)
存在することはありえないとする
一方で国民全体が同意するような【仮想上の契約(または根源的契約)】はありうると考える
この【仮想上の契約】を追求したのがロールズ

無知のヴェール

「正義とは何かを考えるためには、平等の原初状態において
人々がどのような原理に同意するのかを問う必要がある」

この理論を元に【無知のヴェール】という思考実験を提示

ある共同体の生活を律する社会契約を結ぶために人々が集まったとする
彼らはどのような原理を選択するのか
おそらく意見はまとまらない
それぞれに違う立場があるため、支持する原理は自ずと偏る
妥協案を作ってそれに全員が同意したとしても
そこにはおそらく権力を持っている人間の思惑が働いている

この会議のはじめに参加した人々に【無知のヴェール】を被せる
【無知のヴェール】を被ると、一時的に自分が何者なのかわからなくなる
地位、性別、人種、民族、健康状態、精神状態、etc...
何もかもの情報を失う

もし全員がその状態であれば、そこで同意された原則は
平等と正義にかなうものなはずであるとロールズは考える
これを『平等の原初状態における仮説的な同意』と表現

ロールズはまず、功利主義的な原理は選ばれないと考える
功利主義的な原理は(全体の幸福のために)少数派の自由を束縛する可能性がある

また、リバタリアニズムの原理も選ばれないと考える
自由競争の原理においては、弱者が自己責任論を盾に切り捨てられる傾向

この思考実験から導き出される原理
【基本的自由】
 どんな立場の人であってもその人の基本的な自由が守られるべきである
【格差原理】
 仮に世の中に不平等があるのならば、その不平等は
 『社会的に最も不遇な立場にある人々の利益になる』
 場合においてのみ認められる
 つまり、弱者を助ける格差のみ許容される

問題点

社会的弱者を助ける『社会的強者』の義務の問題

仮に、努力して社会的強者になった人と
努力しないで社会的弱者になった人がいたとして
社会的強者は、それでも弱者を救う義務があるのか

ロールズはその義務はあると答える

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