汐見夏衛「明日の世界が君に優しくありますように」を読んで

あらすじ

 ヒロインの私(白瀬真波)は中学時代、家族とのすれ違いや友人の陰口を聞いたことから、長い間不登校だった。これを見かねた父は彼女に、T市の高校へ通うことをすすめる。家族に何も打ち明けず、主体性を失っていた真波は言われるがままこれを受け入れる。

 高校へ通うため、とある田舎町、鳥浦にある母方の祖父母の家へ引越してきた真波。ほとんど覚えていない祖父母と、二人の世話になり同居している美山漣に対し疑心暗鬼になり、真波はなかなか心を開けなかった。

 ある晩、真波は夜に幽霊が出ると噂の砂浜で「ユウさん」と出逢う。優しげな雰囲気を持ち、自分の話を楽しんで聞いてくれるユウさんに真波は心を救われる。真波は漣と共に、ユウさんが一人で営んでいる喫茶店「ナギサ」を手伝うようになる。

 ユウさんを通して少しずつ、祖父母や漣への理解を深め、心を許すようになっていく真波。彼女はユウさんの人柄に惹かれていたが、彼は喫茶店の名前の由来であり、亡くなった恋人である凪沙を想い続けているのだという。

 鳥浦に馴染みつつある真波だったが、突如やって来た父、隆司は漣との同居を知るなり、転校するように彼女に伝える。絶望した真波は家を飛び出して海へ向かい、入水を試みる。その時彼女を止め、本気で怒ってくれたのは漣だった。真波はとうとう隠しきれなくなったこれまでの思いを、全て彼に打ち明ける。これに対する彼の力強い励ましに真波は心を打たれ、父と正面から向き合うことを考えるようになる。

 八月の頭、鳥浦で行われる龍神祭が近づきつつあった。夜の町を回った人々が海岸で灯籠を燃やし、海に住む神様に願いが叶うよう祈るのだという。いつも通り「ナギサ」へ二人が手伝いに来ていた某日、海に溺れている子供が見つかる。ユウさんたちの活躍により子供は一命をとりとめたが、それをきっかけに漣はあることに気づく。幼いころ海に溺れた自分を助けた代わりに亡くなった人とは、ユウさんの恋人であった凪沙その人だった。その日を境に、漣は一切家から出られなくなる。異変を察した真波は、周囲の人々の話から彼が苦悩する原因にたどり着く。

 龍神祭当日、罪の意識にさいなまれる漣は彼女に当時の出来事を語る。彼が誠実に振る舞い、人々から信頼を勝ち取ってきたのは、凪沙に対する贖罪の思いからだったのだ。全てを理解した真波は漣の手を取り、ユウさんと会わせることに成功する。謝罪する漣とそれを許すユウさんのやり取りを通して形を成してきた凪沙の像に、彼女はいたく感動する。

 後日、真波と漣の二人は彼女の母洋子が入院している病院へ向かう。かつて真波と弟の真樹を抱いていた洋子は交通事故に遭い、それ以来洋子は意識が戻っていなかった。洋子の眠る病室で真波と隆司は家族をめぐる誤解を解き、お互いのことを全く理解できていなかったことを確認し合う。

感想

 この物語を成立させているのは、己が良心に従った、尊い犠牲者である。ニーチェ「悲劇の誕生」ではないが、この不条理な世界において人々を団結させるのは、崇高な犠牲に限るのではないか。

 種の存続の為に一部の個体を犠牲にするのは、動物においてそう珍しいことでもない。善悪は共同生活を営む為に作られた判断基準であり、我々はそれに従って一部を犠牲に、生き残ってきた。あるいは「大祓詞」にあるように、意図せぬ「過ち」の結果、犠牲者が生まれることもある。この事実に胸を痛めることもまた、種の存続の為に発達してきた機能の一種なのだろう。皮肉なものだ。

 だからこそ、我々は犠牲となったマレビトの分も生きなければならぬ。これが修理固成、つくりかためなす精神なのではなかろうか。我々は完成しない、マレビトの犠牲はその証拠である。故にその罪穢れを祓い、終わりなき道を仲間と共に歩み続けていくのだ。

 再読して分析することは恐らくないと思うが、一つだけ表を置いておく。

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