フランシス・ベーコン まとめ

イギリス経験論の祖
経験を重視する中世以来のイギリスの学問的伝統と、ルネサンスの科学・技術の発展を踏まえて、近代的な経験論を展開

『知識は力なり』
… スピノザの説く第二の知『理性知』と同じレベルのもの
第1の知:表象知=誤謬の唯一原因(誤った知)外部の刺激によって生まれる感覚的経験に基づくもので混乱した非妥当な観念から成る
第2の知:理性知/科学的理解によって得られる概念的・推理的認識
第3の知:直観知=自分を含む物体を神の一部(個物)として理解する知/物の本質を具体的に把握してこれを神への直接依存の中に見るもの

ノヴム・オルガヌム(Novum Organum) 1620年の著作

I. 自然の下僕かつ解釈者たる人間は、自然のふるまいに対する事実または思考の中に観測できた分だけを、実行・理解可能だ。これを超えては、何も知ることがないし、何も行うことができない。
II. 人間の素手にせよ、理解力にせよ、それだけでは、十分な結果をもたらすことは不可能だ。道具や補助器具を利用してこそ、[人間の手によって]仕事は成されるのだが、それら[助けとなる道具]は手だけではなく理解力にも必要とされている。手のうちにある道具が機能をもたらし手を導くように、精神の道具も理解力と注意力を補強する。
III. 人間の知識と力は一致する、というのも、原因を知らなければ、結果を生み出すこともできないからだ (Scientia et potentia humana in idem coincidunt, quia ignoratio causae destituit effectum.)。自然を支配するためには、自然に仕えなければならない。思索における原因は、作業における規則に対応する。
IV. 仕事を成し遂げるために、人間ができる唯一のことは、自然の実体を、まとめたり、ばらばらにしたりすることだけだ。残りは、自然の性質によって、自然の内部でなされる。[第1巻:警句より]

【種族のイドラ 】
人間という種族に固有の偏見。感覚や精神の自然的な制約が原因で、感覚の錯覚や思い違いなどがある
【洞窟のイドラ】
各個人の経験の限定により引き起こされる思い込み。井の中の蛙
【市場のイドラ】
不適切な言葉(実在のない名称や間違った定義)の使用によって生じる偏見
【劇場のイドラ】
権威や伝統を重んじることで生まれる。ハロー効果。

イドラをもたらす土台となっているのが、スピノザの言う『表象知=誤った知』

知識をもって自然を支配し、人間の生活を豊かに
いわゆる帰納法
演繹法で 物事の説明はできるが、知識の総量は増えない

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