前期シェリング まとめ

フィヒテ:この世の根元は自我、 自我によってこの世界は作られている
→モノ自体すらも自我の中に内包
自我は非我を乗り越えることで【絶対我】へと向かう
→語弊を恐れずにいうならば、【絶対我】は自我の枠組みに内包されている
しかし絶対的な自我と呼ぶ以上、その存在は絶対でなくてはならない

シェリング:絶対的な自我はもはや【絶対者】
絶対者であるならば、それは自我の根拠(自我の定立の根拠) であるだけでなく、非我の根拠にもなるべき
自我である【精神】と非我とされる【自然】は両方とも絶対者から展開されたもの
【同一哲学】…精神と自然が同じ1つの絶対者から生まれたとする考え方

なぜ、同じ絶対者から精神と自然という全く別のものが生まれるのか
…シェリング『量の問題である』

同じ絶対者から流れ出たものに質的な違いがあるとは思えない
違いがあるとしたら量

【精神の要素】【自然の要素】を絶対者は元から持っている
精神性の低い状態では自然として表れがあり
精神性が高くなると、精神として現れる

燃焼という現象
観念的に捉えると無機物ではなく、有機物のようにも見える

精神同士にも精神性の多寡がある
精神性の高い精神と低い精神があるとした
そしてそれらを必然的なものを追い求める【理論哲学】
自由を実践する【実践哲学】
自分以上のものを表現しようとする【芸術哲学】の 3つの区分に分類

理論哲学と実践哲学はそのままカントの2つの理性と同義

シェリングは芸術哲学こそが最高の精神性を持っていると考える
芸術は絶対者そのものを直感、それを表現すること

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