トマス・アクィナス

生涯

1225年ごろ、南イタリアの貴族のもとに生まれる
伯父が修道院の院長をしていたこともあり、
将来は彼が後継者になると両親から期待されていた

5歳になると、修道院に入り、様々なことを学ぶように
大学を卒業すると両親の期待とは裏腹に
ドミニコ会という、当時前衛的な思想をもっていた修道会に入会しようとする
両親はこれに大反対、一年間彼を軟禁

しかしトマスの決心は揺るがず、ついには両親が観念
ドミニコ会入会を許される

ドミニコ会にて師アルベルトゥス・マグヌスと出会い
長い期間師事
その後、パリ大学の神学部教授になり『神学大全』をのこす

二重真理説

当時、十字軍によってヨーロッパとアラブ諸国の
交流が始まっていた
アラブ諸国にはアリストテレスの哲学が伝わり
キリスト教の思想とアリストテレス哲学の間で
様々な矛盾が生まれていた

トマスは神学と哲学は明確に違うものだと主張

哲学によってGodがどうのこうのと検証することはできるが
神学においてはGodの存在は前提
哲学はその説明をしているに過ぎない

Godに関する真理は2つのパターン
1つは人間の理性で到達可能なもの
これは哲学でたどり着ける真理の範疇
もう1つは人間の理性を超えたもの
これが神学でのみ扱える真理

哲学で真理を追求するのは良いが
それはあくまでも神学の補足でしかなく限界がある
あくまでも哲学は、神の恩寵に人々を導くための道具

トマス【哲学は神学の婢である】

トマスの思想は現代にも【新トマス主義】として
受け継がれている

Godの存在証明の意義

当時、キリスト教は国教として用いられ
キリスト教の安定した普及が、国の平和と直結していた

キリスト教教義の整合性自体が、信仰心の多寡に影響、
それが巡り巡って国の存亡に差し響いていた

運動変化による証明

世界には運動変化がある
その運動するもの全ては自分以外の他のものの力によって動かされている
その運動の原因になるものも元は他のものの影響で動いている
このように運動の原因を遡っていくと、最終的には他のものに動かされたのではない
最初に運動を与えた存在がなくてはならない
それが人々がGodだと認識しているもの

段階と完全性による証明

ものの質は一方より他方の方が高い
こうした判断ができるのは美や知恵などの
あらゆるものの質の段階を判断する基準があるからであり
そうした基準は最高の完全性を持っていなければならない
そうした最高の完全性はGodに含まれていると考えるしかない

世界秩序の存在による証明

物体には知性がないが、その物体は何らかの目的に向かって
動いているように見える
目的に向かうのはそこに何らかの意図が働いているから
知性を持たない物体は認識と知性を備えた何らかの存在によって
方向を与えられなければ、目的へ向かうことができない
全ての自然物を目的へ向かわせる知性を備えた何かが存在する
人はそれをGodと呼ぶ

自由意志とGodの予知のパラドクス

「すべて神によって知られるところのものは、その存在していることの必然的なものである。けだし、我々によって知識されるところのものといえども、存在していることの必然的なものなのであるが、神の知にいたってはわれわれの知よりもさらに確実な知だからである——。しかるに、『未来の非必然的なことがら』とは、いずれも、その存在することの必然的ならぬものにほかならない。してみれば、如何なる『未来の非必然的なことがら』も神によって知られてはいないのである。/他方、その反対の論にいう。/『詩篇』第32篇(第50節)には、『彼らの心を一々つくり給うた者、その(すなわち、人間たちの)諸々のわざを知り給う者』とある。だが、人間のわざは、自由意志に従うものとして、非必然的なるものである。それゆえ、神は未来の非必然的なことがらを知るのものである。(トマス・アクィナス「神学大全」問14第13項)」

決定論と自由意志の問題はカントに引き継がれる


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