流鏑馬

彼は流鏑馬の名手だった。
現役を引退した彼は、現在、日本流鏑馬協会の会長の任に就いている。

彼のひとり娘は弓道の名手だった。
その才覚たるや、彼女が父の遺伝子そのものであるかのようだった。彼は娘を何としても馬に乗せたかった。何もしなくていいから、ただ馬に乗って欲しかった。馬に乗って矢を射て欲しかった。彼女が馬に乗ってくれさえすれば、彼女が四方八方に矢を放とうと知ったこっちゃなかった。何なら自分が射られてもいいとさえ思っていた。それくらいの覚悟と願いだった。だが、彼女は馬には乗らなかった。


「不安定で射にくいから。」

思春期の娘にそう言われた時は三日三晩泣いた。
しかし、彼は諦めなかった。

彼は孫を流鏑馬の名手にしようと決めた。勝手に決めた。そのためには、最高の孫が欲しいと思った。ほぼ最低の考え方だった。あの娘の子である、弓道の才能は問題ないと思われた。必要なのは、乗馬の才能。彼は、大切なひとり娘の結婚相手を乗馬の名手にしたいと思った。すごく思った。勝手に思い込んだ。もう娘の意向なんてどうでもよかった。とりあえず才能の塊のような孫をつくろうと思った。


彼は現役時代、他の選手の馬にピノをたらふく食わせ、流鏑馬どころの騒ぎじゃなくすることなどを主に得意としていた。その暗躍ぶりは健在で、彼は瞬く間に乗馬の名手と娘を接触させることに成功した。好都合なことに娘はその乗馬の名手を気に入った。なにせハンサムだった。一発だった。ハンサムだから一発だった。そして、脚がすごく長かった。ハンサムで脚がすごく長いから、決まりだった。かくいう娘も綺麗な顔立ちで、そして脚もすごく長かった。彼の弓の才能はそっくりそのまま受け継いだ彼女も、そのルックスは完全に母譲りだった。脚がすごく長いのは彼譲りだった。



弓道の名手と乗馬の名手はすぐに恋に落ちた。恋のキューピッドなど必要なかった。なにせ射抜くのは彼女の専売特許である。あと、彼の暗躍もすさまじかった。すさまじすぎて、表に出まくっていた。全然暗躍じゃなかった。そんな彼の活躍もあり、弓道の名手には新たな命が宿った。そう、それは流鏑馬の才能を宿した小さな小さな男の子。
母からは弓道の才を。
父からは乗馬の才を。
ジジイからは執拗なまでの願望を託された。
まさに、流鏑馬のサラブレッド。

その日が近づくにつれ、彼は興奮して、少しおしっこを漏らすこともしばしばだった。


彼に孫ができた。


とてつもなく脚の長い孫ができた。脚がすごくすごく長い。孫はすくすくと成長した。孫は頃合いになった。彼は頃合いだと思った。ほぼ最低の考え方だった。

そして、彼は驚愕することとなる。


孫はめちゃくちゃ矢を射るのが下手だった。
乗馬もすごく下手くそだった。






ただ、
顔がすごく馬に似ていた。

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