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味方につける、ということ。

あっっっっづい...

お前はネチネチと...と思われるかもしれませんが今回も米子松蔭の件で思った話です。なぜ引きずるのかというと高校のサッカー部の後輩たち、春のインターハイ予選を校内で感染者が出たことにより棄権してるんですよね。彼らは選手権予選にも出場してから引退するので彼らの集大成を披露する場が失われたことにならないのが救いです。


なぜ今回はここまで大きな動きになったのだろうか?

高校野球というのは何故か感動的なものです。勝者が歓喜し、敗者が涙を流す。他の競技でも同じですが何故か野球は桁違いに感動的な状態を生み出します。もちろんメディアの演出もありますが同じくメディアの演出がある高校サッカーと比べても涙する数の人は高校野球のが圧倒的に多いのではないかと思われます。ましてや例の高校は強豪校。野球に全てを捧げてきたと言っても過言ではない人の集まりです。キャプテンのツイートはそれを見た人の心を大きく揺さぶり、感動させ、あるいは高野連の対応に憤りを覚えさせた事でしょう。まっっったく否定するつもりはありません。ただ彼は「世論」という日本において物事を動かす時に最強といえるものを味方につけました。

もし僕のサッカー部の後輩が同じ状況で同じツイートをしたら世論は味方に着いたのか?

答えはNOだと思います。だってうちそんなに強くないもん。野球じゃないもん。うちみたいなのが棄権になったところで無関係な人々は感動しないもん。味方にならないもん。助けてあげたいと思わないもん。

対応の不手際があったことが大きいとはいえ、「高校野球」であったこと、彼らが未成年であり、大人から可愛がられる対象であったこと、「失われた青春」という事象、これらの力は大きいんだなと改めて思いました。

自分が弱ければ味方を増やす、強いものを味方につける。何かと戦う上でとても大事なことです。些細な揉め事から今回のような対大人の戦い、ひいては権力闘争、戦争までに通ずる戦いの基本事項ですよね。改めて今回の件で学ばせていただきました。

米子松蔭の高校生を批判するつもりは一切ありません。「サッカーしかしてこなかったくせに高校野球の何がわかる」「彼らの純な心を利用して自らの論を展開するな」「浪人生なんだから黙って勉強だけしとけ」「ガキかおこがましいんだよ」...仰る通りです。家族や周囲の人を巻き込まない、個人情報の特定等に走らないならばいかなる批判も中傷も受け付けます。いじめによってかなり高い中傷耐性を手に入れたので。炎上したらこの記事消すかもしれませんけどね()

過去一長く、大した主張もない文章にお付き合いくださいありがとうございました。

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