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私の頭の中、私と私の対話、自分とは何かという永遠の問い、自分のゲシュタルト崩壊、ドツボのループ、最古の記憶、深夜3時のおしゃべり、貴重な恥ずかしい記録、思考の相手をしない方法


私は自分の相手をしすぎている。

朝から晩まで頭の中で自我との対話に明け暮れる。

これまでの人生で、「何を考えているかわからない」としばしば言われてきたが、それも無理はない、ずっと自分のことを考えてきたのだから。

目の前にいる貴方の存在すら意識せず、今現在の事象にも目を向けず、私の心はここに在らず、私の心は内なる世界にあって、貴方ではなく私と向き合っているのだから、目の前にいる相手は私の心の所在を読み取ることはできない

私の心が相手に向く時、すなわち相手のことが心底好きで興味を持って夢中になっている時だけは、「何を考えているのかわからない」とは言われない。相手は私のことを考え、私も相手のことを考え、心が互いに向き合っていると、意識はしっかりと通じ合い、相手と自分の心が一つになり、お互いの頭を自由に行き来し、何を考えているのか手に取るようにわかるようになり、一心同体になれる。

そんな奇跡が起きないときは、たとえ誰かが同じ空間にいたとしても、実際には孤独であるため、自己の思考に没頭し続けてしまう。私にとって対話とは、お互いの頭の中を行き来することだから、それができないのなら、自分の頭の中に籠ることになる。

もう子供ではないし、成長したし、大人になったと思ったのに、やはり、今も、「自分とは何か」という問いに直面してしまう。

これだから、夜中まで自分と向き合い続けるのは楽しい

夜中は誰にも邪魔されずに自分を独り占めできる。

至福の時だ。

愚問にとらわれ続けることができる。

なんて贅沢なのだろう。

昼間、誰かに声をかけられると現実へと引き戻され、思考は断片的になり、深まりを欠く。

しかし、夜になれば思いは宇宙を飛び越えるほどに拡がり、自由に、果てしなく広がる空間を漂う。

それが楽しい一方で、少しの恐怖も伴う。

自分と自分だけが二人きりの空間に閉じ込められると、思考は渦を巻き、脱出不能の淵にはまる。だからこそ、心の内を文字にして記録してみることにした。

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