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人生を台無しにするほどの決断とは?

今回も、前回の続編となっております。

前回、前々回を見ていただいてから今回のnoteを見ていただけますとすんなり読み進められると思いますので、おすすめです。

(特に前回のは個人的に面白い結果になったので、見てください!)

それでは参ります。人生が台無しになるほどの決断とは何がある?についてです。


前回のnoteでは、人生が台無しになる要因には、

「汚点となるようなイベントに出会うこと」

「人生に希望が見出せないこと」

が挙げられました。なのでそれぞれの要因を満たす決断にはどのようなものがあるのかについて考えていきたいと思います。

○まず、汚点となるようなイベントに出会うような決断とは?

汚点になるようなイベントは次のようなものが挙げられます。

殺人・強盗・強姦・暴行・いじめ・多額の借金・離婚・不倫・退職etc...

例えば人を殺さなければいけない。または人を暴行して傷つけないといけない。物を盗まないといけない。

このようなことが目に見えている決断は当然誰も選びません。自ら悪に走る人間はいないと言われていますので、自らこのような決断をする人はいないとさせてもらいます。

ただし、このような行為に及ぶ場合には”善”の行為として決断することがあるのも事実です。

例えば正当防衛のためだったり大切な人を守るためだったり、経済的に首が回らなくなったりなどがその人にとっての”善”に当てはまるでしょう。

このように”善”が働いている場面では、汚点となるようなイベントが避けて通れないことがあります。

(ここで挙げている”善”は決して良い行いであるとは限りません。説明するとややこしくなってしまい本来の趣旨からずれてしまうので、「哲学 善」なんかでググってみてください。)

他にも、事業に失敗したり身内の肩代わりをしたりするなどで多額の借金を背負う可能性もあり得ます。

結婚してみるとどうしようもないパートナーだったなんてよくある話です。離婚も今や特別なことではなくなっている風潮がある気がします。

汚点に繋がりかねないイベントは他にも例を挙げればキリがなさそうです。

なので結論としては、汚点となるようなイベントは”善”を通そうとすれば起こる可能性があるということ。必ずしも100人が100人ともそれらのイベントを避けて通れるとは限らないんです。

避けて通れた方々は運が良かったとも言えるんだと思います。あらゆるライフイベントに決断で起こってくるが故に、人生を台無しにしないためには大きな悩みと迷いがつきまとうことは必須なようです。

○次に、人生に希望がなくなるような決断とは?

人生に希望を持っていないという方は少なくないと思っています。

希望が持てなくなる理由としては、人生なんてこんな物だと感じている・未来が想像できない・現状維持のままでいたい(傷つきたくない)などが挙げられます。

このような人たちはなぜ希望を持てなくなっていったのでしょうか。

1つは”知識不足”が考えられそうです。

私の周りにお金持ちがいない、海外に別荘を持っている人がいない。社長さんがいない。だからお金持ちになる方法も、海外に頻繁に遊びに行くライフスタイルも、起業して社長になる方法も知らない。

知らないから目指そうとも思わない。サッカーのことを知らない野球選手がハットトリックを決めてやりたいなんて思わないのと一緒で、知らない範囲のものは希望にすらならない。

もう1つは”経験不足”が考えられます。

雪山でウインタースポーツをしたことがない人であれば、スノボのターンができるようになりたいとは思わない。企業を経験したことがなければ、社長になりたいとも思わない。

知識や経験が不足していることで、自分の範囲内でしか物事を考えることができません。その範囲内には自分の希望がないことは既に自分がよくわかっているのに、です。

自分の今知っている範囲の外側に希望となる楽しみや目標があると思っています。

勉強する、新しいことに挑戦する、体感する。これらのような自分の範囲を広めようとする行為を取らない決断が、希望を持てないようになる人生に繋がりそうです。


いかがでしたでしょうか。

まとめますと、人生を台無しにする要因には、

「汚点となるイベント」「希望を持たない」「自己肯定感が低い」が挙げられました。

その要因に至るような決断には様々なものがありました。

どの決断も未来がわからないからこそ、不確実であり汚点イベントに出会うリスクもありました。しかしながらその汚点イベントに出会うことを過度に恐れ何も挑戦しないこと、何も学ぼうしないこともまた人生を台無しにする決断になるようです。

やるかやらないか以前に人生を台無しにしないかで決めている。

人生を台無しにする定義は人それぞれだと思います。今回考察していったものは独断と偏見によるものが大きいです。この文章もまた新たな挑戦であり、恥ずかしい汚点となるのかもしれませんね。

何かの決断に迫られた時の考え方の1つとして、今回の一連のnoteがお役に立てれば幸いです。

3編にわたる大作となりました。全部見てくださった方には感謝しかありません。

見たよって方は是非この考察への意見も添えてコメントください。あなたのアカウントに尻尾振りに行かせてもらいます。

それでは、本日も読んでいただきありがとうございました。

また次回、読みにきてください。

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