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いっぷく閉店のおしらせ

いっぷくを丸五年になる6月末で閉めることにしました。理由は書ききれないぐらいありますしどのぐらい伝わるかわかりませんが、一番大きいのはコロナの終息がわからないこと、そしてやりたいことが新しくできてしまったことの2つです。

実は1年前に一度辞めようと思いました。その時はコロナで今までと違ういっぷくになっていくのがとても辛く、楽しい企画が生み出せないならいっそ次のステージに行きたいと思ったのでした。なぜかねこまどにたまたまいたので少しその話をしました。スタッフさんがお金の不安があると…という話をするのを遮って、北尾まどかが横から「ちがうの!この子はお金のことは関係ないの!楽しくないことをやりたくないの!」と言ってて、さすが相方はよく私のことをわかってるなと感心したものでした。楽しいことをやろう、今やりたいことをやろう、と北尾氏にも背中を押されて帰ってきたのですが、なぜかその時期から涙が止まらず、夜眠れなくなってしまいました。長年の友も自分も、私の性格のことはわかってても、お店というものが自分だけのものじゃないということが想像ついてなかったのかもしれません。私は想像以上に皆とともにいっぷくを必要としていたし、いっぷくでつながる人を必要としていたし、そもそもいっぷく自体が自分が作ったのはただのきっかけに過ぎず、今のいっぷくを形つくったのはお客さん一人ひとりなのでした。それはまるで産んだもののすでに人格を持っている子どものようで、自分でコントロールできるものではない。これまで人生の帰路は割とすっぱりさっぱり決断していた私がこんなにウジウジしたのは初めてで、コントロール不能な「なにか」がいっぷくにはあったのでしょう。

ですので今回の決断には一年かかりました。病気が進行しては大変なのであまり考えずに過ごしていましたが、やっぱり結論は変わりませんでした。つまりお客さんが感染しないかな、大丈夫かな、と心のどこかでハラハラしながらやるのはもう楽しくない。みんなで思いっきり楽しくできない以上やりたくないな、ということです。

そして、電車のレールがずれていくように自分の今やりたいことが少し変わったのも自覚していました。ずっと人が楽しめる場作りや伝えることを中心に行ってきた反動か、もう一度自己実現をとことんまで追求したくなったのです。連珠のことですね。

思えば、清澄白河で将棋教室を始めたのも元女流棋士という使命感があったからです。また団体を退会して何も後ろ盾がなかったので、いつもどうぶつしょうぎデザイナーですと名乗りどうぶつしょうぎに頼って生きてきました。ところがいっぷくを始めてから、常連になった方のほとんどが女流棋士時代に出会ってない方でした。今では自分が女流棋士だったことも、どうぶつしょうぎをデザインしたことも忘れて生きていられるようになりました。それって喜ぶべきことじゃないかと思います。そして連珠という新しい夢ができた。一人の人間として何の使命感も縛りもなく、新しい夢が芽生えたって、実はすごい幸運なことなのではと思います。何者でもない自分にもう一度戻って夢を追うことができるなら、それに邁進したい。今は連珠を強くなることを一生懸命して、将来もし可能なら教えたりする活動をしてみたいな、なんて思っています。なのでその時のために資金や力を今は蓄えたいです。せっかくの幸運なのだから。

正直ちょっと不安があります。まずもってそんなに大成できるかわからない。強くなったり結果を残せる保証はない。しかも将棋と違って社会的評価を得られるかもわからない。連珠をやっても収入にはならない。なのにこの歳で方針転換するのは酔狂です。もう一つ、後ろ盾がない私がやっと家族のような仲間をいっぷくで作れたのに、また一人になってしまって大丈夫か。

女流棋士をやめるときにある方に「これだけのモノ(どうぶつしょうぎ)が作れたんだからきっとこれからもできるよ」と背中を押してもらった言葉を思い出して自分を鼓舞しています。これだけの優しい人達が集まってくれたんだから、きっと他の世界に行っても誰かが集まってくれるよ、と。

いっぷくを楽しみにしてくださってた方には申し訳ないです。また楽しい世の中になったら遊んでください。そして連珠を一生懸命頑張って、いつか社会貢献できる人になりたいので末永く見守ってくださると嬉しいです。



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