残されたもの『小さなものの諸形態』90-93頁

「しかし池澤が、主題に対してむろん仮設的であるほかない態度を次のように書くとき、私はほとんど同意する。

 終末が来るのを待つ間、何をしてもいい。な 
 んとかその到来を遅らせようと努力するのも
 もちろんいいし、ホモ・サピエンスという種
 そのものが失敗作だったのだからと諦めてお
 となしく暮らすのもいい。騒ぎまわって享楽
 に身を任せるのだって、あるいは人間的でよ
 いことかもしれない。終わってしまえばすべ
 ては等価である。自分たちの今までの営みに
 ついて、どこで失敗したのかについて、次に
 来る知性体のために記録を残すのもいいだろ
 う。そして、川のほとりに立って、流れを妨
 げるものを片づけるのも、他の動物たちのた
 めに、川そのもののために水が流れやすくす
 るのも、これも実にいい時間の使いかただ。
 どちらかというと、ぼくはそういうことを
 していたいと思う。この本を書いてある間し 
 ばしば、あのサハリンの老人の姿をぼくは見
 た。黒いパンと少しのなくと蕪と馬鈴薯を食
 べて、畑を耕して、残った時間を川辺で過ご
 す。それはそれでずいぶんいいことの様に
 思われる。

 静かな場所で地道に暮らしたいという、この呟くような言葉をしまいまで言い切ることは、しかし現実には容易ではない。それを遮る叫び声や引き裂くような言葉に、耳をふさぎつづけることはできないからだ。
 たとえば、最近私の目に飛びこんできた一つの言葉(『世界』1993年9月号)。

 私たちに残された唯一のもの、それは希望だけである。

 これは旧ユーゴスラヴィアのサラエボの市長の言葉だ。「現代史上かつてない包囲」と彼が呼ぶ状態のなかから辛うじて外部へ届いた悲鳴に近い言葉だ。そのとき彼はスターリングラードの包囲を想い起こしているけれども、そこには、包囲している川のセルビア人たちがかつてナチスによって取り囲まれたという記憶や、ボスニアの地のイスラム教徒がキリスト教世界によって包囲されるという経験が、まさにインサイド/アウトサイトの歴史的な重層性をもって折り重なってもいるのだ。悲劇は幾重にも塗りこめられる。
 そのような場所で、飢えと渇きと伝染病の蔓延のなかで、子供を含む死者の数が一桁台まで克明に告知され、しかも、「私たちの苦しみと、耐えねばならないあらゆる不自由を書きつらねたならば、そのリストに終わりはないだろう」と彼は言う。そこでの最後の言葉として、さきの言葉が発せられている。希望を語る言葉は、終わりなき苦しみのリストの最後に来るのだ。すなわち、耐えがたさの極点においてなお残されてあるもの、災厄をなめつくした果てに向かいあうもの、それが「希望」にほかならない。したがってまた、希望を語らずにいられないこと、それは「終わり」を語ることにほかならないのだ。希望とはそのように逆説的に出現する。
 この残された唯一のものに辿りつくサラエボ市長の言葉は、一つの言葉の記憶を喚び起こさずにいない。時代経験を刻むその言葉は1920年台半ばに書きとめられている。「ただ希望なき人々のためにのみ。希望は私たちに与えられている。」それはベンヤミンという思索者の一命題としてあるのではなかった。この時代の悲惨は、このような希望がすでに語られてしまっており、しかもなお世界のいたるところで希望が語られつづけていることだ。いわば終わりへの永劫回帰という逆説。終わりの間隔そのものをなし崩す、この歴史の形式のもとに苦痛は堆積していく。」
市村弘正『小さなものの諸形態』平凡社ライブラリー、90-93頁

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