私たちに残されたもの 『小さなものの諸形態』92-93頁

私たちに残された唯一のもの、それは希望だけである。

 これは旧ユーゴスラヴィアのサラエボの市長の言葉だ。「現代史上かつてない包囲」と彼が呼ぶ状態のなかから辛うじて外部へ届いた悲鳴に近い言葉だ。そのとき彼はスターリングラードの包囲を想い起こしているけれども、そこには包囲している側のセルビア人たちがかつてナチスによって取り囲まれたという記憶や、ボスニアの地のイスラム教徒がキリスト教世界によって包囲されるという経験が、まさにインサイド/アウトサイドの歴史的な重層性をもって折り重なってもいるのだ。悲劇は幾重にも塗りこめられる。
 そのような場所で、飢えと渇きと伝染病の蔓延のなかで、子供を含む死者の数が一桁台まで克明に告知され、しかも、「私たちの苦しみと、耐えねばならないあらゆる不自由を書きつらねたならば、そのリストに終わりはないだろう」と彼は言う。そこでの最後の言葉として、さきの言葉が発せられている。希望を語る言葉は、終わりなきく苦しみのリストの最後に来るのだ。すなわち、耐えがたさの極点においてなお残されてあるもの、災厄をなめつくした果てに向かいあうもの、それが「希望」にほかならない。したがってまた、希望を語らずにいられないこと、それは「終わり」を語ることにほかならないのだ。希望とはそのように逆説的に出現する。
市村弘正『小さなものの諸形態』92-93頁

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