友情の点呼応える声『小さなものの諸形態』142-144頁

「ひどく色褪せてしまった一つの言葉、私たちのもとではほとんど死語と化しつつある言葉が、指さす関係と感情のあり方について考えたい。「友情」という観念についてである。私たちは気恥かしさなしに、この言葉を使うことができなくなっている。それはたちまち白けた気分を生みだしたり、道化た響きを誘いだしてしまう。この言葉の瀕死状態は私たちの時代と社会を貫くどのような事態を映しだしているのか。
 そういう社会に生きている私たちにとって、たとえば次のような詩句はどのように受けとられるのだろうか。
 
 嵐はやんだ・・・・・・生き残りは僅かだ。
 友情の点呼に応える声の寂しよ・・・・・・
 誰を呼ぼうか・・・・・・誰に話そうか・・・・・・生き残った私のこの悲しい喜びを・・・・・・

 1925年に自殺したロシアの詩人エセーニンのこの詩句を、『ガン病棟』の作者は、強制収容所の生き残りの男に口ずさませている。すべてを奪い去られた男から発せられたこの言葉は、そこでは「生命」を意味する名前をもつ女性によって受けとめられていた。私たちの生が「悲しい喜び」に染めあげられるほかないかのように。
 収容所と世界と友情。この取りあわせは、私たちのしなびた想像力では手に負えないかもしれない。しかし、すべてを剥ぎとられることによってそこに「核心」のみが露わになるという、逆説的な事態から目をそらすわけにはいかないだろう。最小限の食物が一個の身体を支えるとき、丹念に噛みしめられる二百グラムのパンは、深く痛切な祈りがこめられたものとなる。二百グラムの重さのまま、それをはるかに超えたいわば根底的な重さを獲得する。それと同様に、そこでなされる「友情の点呼」は、ただの親密な呼びかけではない。
 人間をとりまく世界を、私たちに生きられる世界たらしめるための、それは根本的な呼びかけとなる。互いに呼びあい応えあうところにのみ、人間的世界が立ち現れるとすれば、すべてを奪いとられた「生き残り」の点呼は、まさにそのことによって、深く痛切な連帯をもたらす声を獲得するのである。社会を呼び寄せる声である。そこでは友情は、ふやけた気恥ずかしいものであるどころか、ぎりぎりのところで掴みとられた社会関係の把っ手のごときものであった。点呼の声は社会破壊的な世界において、社会を再構築しようとする意思そのものとなる。」

市村弘正「友情の点呼に応える声」『小さなものの諸形態』平凡社ライブラリー 2004年 所収 142-144頁

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