発作的アマチュア哲学論『ラカンはこう読め!』94-95頁

二〇〇三年三月、ドナルド・ラムズフェルドは、知っていることと知られていないことの関係をめぐり、発作的にアマチュア哲学論を展開した。

  知られている「知られていること」がある。これはつまり、われわれはそれを知っており、
  自分がそれを知っていることを自分でも知っている。知られている「知られていないこと」
  もある。これはつまり、われわれはそれを知らず、自分がそれを知らないということを
  自分では知っている。しかしさらに、知られていない「知られていないこと」というのもある。
  われわれはそれを知らず、それを知らないということも知らない。

 彼が言い忘れたのは、きわめて重大な第四項だ。それは知られていない「知られていること」、つまり自分はそれを知っているのに、自分がそれを知っているということを自分では知らないことである。これこそがまさしくフロイトのいう無意識であり、ラカンが「それ自身を知らない知」と呼んだものであり、その核心にあるのが幻想である。もしラムズフェルドが、イラクと対決することの最大の危険が「知られていない『知られていないこと』」、つまりサダム・フセインあるいはその後継者の脅威がどのようなものであるかをわれわれ自身が知らないということだ、と考えているのだとしたら、返すべき答えはこうだ――最大の脅威は、それとは反対に「知られていない『知られていること』」だ。それは否認された思い込みとか仮定であり、われわれはそれが自分に付着していることに気づいていないが、それをわれわれの行為や感情を決定しているのだ。
ジジェク『ラカンはこう読め!』94-95頁

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