「ひげ」『ぼくが猫語を話せるわけ』中公文庫 9-11頁

ぼくは時々、この地球上に四十億以上の人間がいるということを思い出して、相当猛烈なショックを受けることがある。
 ぼくはもともと、そういう「数にヨワイ」ようなところがあるらしいのだ。
 たとえば、朝目覚めた時、ぼくはふと、この地球上に(時差はさておき)四十億以上の、それぞれ異なった目覚めがあることを思いつく。それも、その一人一人が毎朝(そして昼寝なども考えれば、これは大変だが)ちがった目覚め方をしているということ・・・・・・。

 ぼくはそれから、まあたいていはひげをそることになる。
 ぼくのひげは、これは一本一本が相当に太くてかつ硬い。のばしっ放しにしておくと、口のまわりと、もみあげからあごにかけて、かなり精悍な感じ(と自分では思うんだ)にはえてきて、そのうち暇になったら本格的にのばしてカッコよく周囲をヘイゲイしてやろうなどという毎朝の夢を生むことになる。
 ところで、実際問題としてこのひげをそるということは、特にいそがしい時には大変うわざらわしいことだ。睡眠不足が重なってきたりすると、肌が荒れてきて、思うようにそれない。
 いろいろやったあげく、ぼくは結局シックの片刃の安全カミソリならびにブラウンの電気カミソリを使っているが、そこにおちつくまでには、膨大なひげそり道具のコレクションができあがった。詩的に言うならば、そのコレクション道具の一つ一つに、さまざまなぼくのそりおとしたひげの記録、ぼくの朝(そして、ぼくは夕方にも二度目のひげそりをやることがある)の記憶がある。大変だ。

 ところで、今朝のひげそり具合はどうだろう。おそるおそるとりかかりながら、一種の健康診断をやるような感じになる。
 まあまあ、となっても、あわててはいけない、というのが、「この道」二十余年の「生活の知恵」というものらしい。そして考えてみれば、このひげをそるという単純な事柄をめぐって、この地球上には何十億という「生活の知恵」があり、男の朝の記憶がある、なんてわけだ。
 やれやれ、でもまあ、今日は相当いい感じだった。
庄司薫「ひげ」『ぼくが猫語を話せるわけ』中公文庫 9-11頁

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