反-反相対主義『社会の喪失』201-202頁

杉田:(・・・・・・)ところで、歴史の複数性というとことについてですが、これまで議論してきたように、複数の解釈が可能だ、といったことを主張すると、相対主義であるという批判がよくあるのですが。
市村:必ずいわれますね。
杉田:「ナチスも再評価できるのか」、「日本の植民地主義を再評価するのか」、といわれます。
市村:しかし、相対化、ということと相対主義は、そもそも同じことでしょうか。何をもって相対主義というんでしょう。
杉田:歴史の方向性とか目的論といったものをすべて取り去ることが、相対主義なのではないですか。
市村:たとえば僕は主権国家というものを相対化しているわけですが、これは相対主義ですか。おそらく反相対主義では駄目で、クリフォード・ギアツの「反‐反相対主義」のように議論のレベルをズラしてしまうほかないでしょうね。
(市村弘正・杉田敦『社会の喪失』201-202頁)

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