背筋の伸ばし方『社会の喪失』中公新書 2005 108頁

映画の制作に際して小池征人は、「かつてユダヤ人がナチスの暴力に囲いこまれたとき、その存在が救えないなら、せめてかれらが生きてきた、生きている記憶をとどめること、それを記録することが時代に立ち会う人間の役割だ、と決めた写真家のこと」を思った、と書いている。いかにも彼らしい背筋の伸ばし方だ。この写真家は多分ローマン・ヴィシュニアックのことだろうが、私はこの映画は、ブラジル出身の写真家セバスティアン・サルガドの仕事を想い起こさせる。(水俣を撮った)ユージン・スミスの影響をうけたというこの写真家の仕事の柱は、時代によって遺棄されていく「労働」の姿だ。それに従事した人びとの存在の「記憶をとどめる」ことだ。サルガドが記録した、打ち棄てられた鉱山労働者のいくつかの顔が思い浮かぶ。「労働社会の消滅」と彼が呼ぶ事態は、けっして遠い世界のことではない。
市村弘正・杉田敦『社会の喪失』中公新書 2005 108頁

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?